インドの世界遺産「アーグラ城塞」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3)
登録年1983年

インドの中央部にあるアーグラは、ムガル帝国では首都であったことがあり、ここには長さ約2.5kmの城壁で囲まれた要塞があります。赤砂岩で築かれたことからレッド・フォートとも呼ばれますが、内部には美しい宮殿や壮麗なモスクなどが並び、これらはムガル帝国時代の繁栄の様子が今でも分かるもの。

ここでは、アーグラ城塞がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アーグラ城塞について詳しくなること間違いなし!

目次

アーグラ城塞とは?

アーグラ城塞
画像素材:shutterstock

首都ニューデリーから南へ約200kmの位置にあるアーグラは、イスラム王朝であったムガル帝国の首都が一時的に置かれていた場所。ここの城塞は、第3代アクバル帝によって1565〜1573年に築かれたもの。

もともとは要塞のため、軍事的な施設が多く造られたのですが、タージ・マハルを建設したことで有名な第5代のシャー・ジャハーンと第6代のアウラングゼーブによって改築され、敷地内には壮麗な宮殿やモスクなどが築かれ、皇帝好みの建築物が増設されていきました。

アーグラ城塞
画像素材:shutterstock

アーグラ城塞は二重の城壁に囲まれており、赤砂岩で築かれたことからレッド・フォート(赤い城)と呼ばれます。しかし、外観は堅固な要塞であるものの、内部には白い大理石の宮殿が築かれたのは、シャー・ジャハーンが赤砂岩を嫌ったため。よって、アクバルが築いた建築物はジャハーンギール宮殿以外はほとんど残っておらず、インドで発展したイスラム建築の多くが見られます。

しかし、アウラングゼーブが没すると、帝国は衰退していき、他国に占領されたり、城内で戦闘が発生すると城は荒廃。20世紀になると修復されるようになり、かつての美しい姿へと戻されました。

登録されている主な構成遺産

ジャハーンギール宮殿

ジャハーンギール宮殿/アーグラ城塞
画像素材:shutterstock

城内に残る唯一のアクバル時代の建築物。ここは、イスラム色の強いペルシャ建築とインドのヒンドゥー教建築が混在しており、イスラム王朝であったムガル帝国が狙ったヒンドゥー教徒との融和が見られます。

ディーワーネアーム(公的謁見の間)

ディーワーネアーム(公的謁見の間)/アーグラ城塞
画像素材:shutterstock

シャー・ジャハーンによって造られたもので、白大理石の列柱が並ぶ豪華絢爛なエリア。ここは宮殿の正面玄関だったもので、特に柱やアーチの装飾は当時の職人の技術力の高さを示しています。

ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)

ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)/アーグラ城塞
画像素材:shutterstock

宮殿の東側にある塔で、もともとはアクバルによって築かれたものですが、1632〜1640年にシャージャハーンによって再建されました。塔は八角形の優美な建築物。自らこの塔を再建したシャージャーハーンですが、その後、アウラングゼーブによって幽閉されてしまい、妻のために建造したタージ・マハルを眺めながらここで亡くなりました。

アーグラ城塞はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

アーグラ城塞
画像素材:shutterstock

アーグラ城塞が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
かつてムガル帝国の王宮がこの要塞内にあり、ここで帝国の政治が行われ、歴史的事件も多々発生したという点。

世界遺産マニアの結論と感想

アーグラ城塞は要塞としての機能だけはなく、ムガル帝国の中枢であり、美しい宮殿など、建設物から帝国の栄華が見られるという点で評価されています。

ちなみに、デリーに築かれた要塞もレッド・フォートと呼ばれ、一般的にはレッド・フォートというとデリーのものを指します。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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