登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5), (6) |
登録年 | 2008年 |
バヌアツの首都があるエフェテ島とその周囲の島々には、17世紀初頭に存在したと考えられる首長ロイ・マタの生と死にまつわる場所が世界遺産に登録されています。ロイ・マタの住居があったマンガース、彼が亡くなった洞窟や墓などを含めて、バヌアツでは古くから続く口承がロイ・マタにまつわる遺跡に反映されているというのが特徴。
ここではロイ・マタ首長の領地がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ロイ・マタ首長の領地について詳しくなること間違いなし!
ロイ・マタ首長の領地とは?
南太平洋の国家バヌアツは83もの島々で構成されています。首都ポートビラのあるエファテ島とその北西沖に浮かぶレレパ島とエレトカ島には、17世紀初期にエフェテ島周辺を支配していた最高位の首長ロイ・マタの領地が残り、その中でも彼の生涯にまつわる3つの場所が世界遺産に登録。ここはロイ・マタを崇拝する島民たちによって、400年に渡って土地の利用を禁止し、その景観が残され、今でも伝承として人々の間に生き続けています。
エファテ島の北西部のマンガースに残る「ロイ・マタの邸宅」はかつての彼の家と考えられ、石の壁などが残っています。レレパ島にある「フェルズ洞窟」は高さ35m、幅53mという大きな洞窟で、ここは彼が亡くなった場所とされ、壁には岩絵や岩刻画などが残存。「ロイ・マタの墓」はエレトカ島にあり、ここは禁忌の土地とされてきました。実際に1960年代の発掘調査では、バヌアツに伝わる口頭伝承の通りの墓が存在していることも分かっています。
ロイ・マタ首長の領地はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ロイ・マタ首長の領地が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ロイ・マタ首長の領地は、ロイ・マタの住宅と埋葬地を400年に渡って守られてきたという継続的な文化的景観であり、社会風習にも反映されているという点。
登録基準(v)
ロイ・マタ首長の領地は、太平洋で見られる社会組織による景観の良い例で、ロイ・マタに関連する3つの重要な遺跡は時間の経過とともに太平洋の人々と自然環境のつながりが見られるということ。
登録基準(vi)
ロイ・マタ首長の領地は、現在のバヌアツの人々の中でその伝統が生き続けていて、その文化的景観は彼らの力の源であり、人生観にも影響しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ロイ・マタという存在は、歴史的な意味だけでなく、彼に関する土地は、400年に渡って島民によって禁忌の地として保護されていて、これは人と自然の繋がりが反映された文化的景観であり、今でも島に住む人々とともに生き続ける伝統であるという点で評価されています。
ちなみに、バヌアツは島ごとに文化どころか言語が異なり、意思疎通が困難なため、「砂絵」という共通言語的な絵文字文化が生まれました。これは一筆書きのためにすごく便利なコミニュケーションツールで、世界無形文化遺産にも登録されているほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。