登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2000年(2007年拡大) |
セネガル北西部に位置するサン=ルイ島は、17世紀にフランスの植民地として設立され、交易の拠点として活躍。1872年から1902年までフランス領西アフリカの首都となり、文化と経済ともに重要な都市でした。ダカールが首都となった後は人口が減少したものの、都市にはコロニアル様式の建築物が残り、本土とはフェデルブ橋で繋がっているという独特の景観が見られます。
ここではサン=ルイ島がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サン=ルイ島について詳しくなること間違いなし!
サン=ルイ島とは?
モーリタニア国境近くにあり、セネガル川の河口の細長い三角州に位置するのがサン=ルイ島。1659年にアフリカの大西洋岸にてフランスが初めて築いた植民地となり、ここは奴隷だけでなく、ゴムの原料、金、皮革などを取り扱うヨーロッパの商人の拠点となりました。ここは1872年から1902年までフランス領西アフリカの首都であり、ダカールに首都が移転した後も1957年までセネガル政治や経済においては重要な役割を果たしました。
ここは古くからフランスの植民地であったため、建築物や教育、文化、技術においてフランスの影響を受け、地元の文化と融合し、発展していきました。世界遺産としては島全体に加えて、島と本土を結ぶフェデルブ橋まで幅広い地域が登録。首都であっただけに庁舎跡などが並び、碁盤の目のような区画で広がっています。ここは1960年に独立した後も、木製のバルコニーや赤い屋根を持つというフランス風のコロニアル様式の邸宅が残っていて、植民地時代から残る都市計画が今でも見られるのが特徴。
サン=ルイ島はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サン=ルイ島が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
サン=ルイ島に残る歴史的な町並みは、西アフリカにおいて教育、文化、建築、技術などの発展において、価値観と影響力の重要な交換を示すという点。
登録基準(iv)
かつてフランス領西アフリカの首都であったサン=ルイ島は、自然環境を利用した植民都市の顕著な例で、フランスの植民地政府の発展を示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
サン=ルイ島は、三角州を利用したフランスの植民都市で、古くからフランスの文化や教育、建築などが持ち込まれ、西アフリカにありながらフランス風のコロニアル様式の建造物が続くという町並みが作られ、植民地政府の発展が見られるという点で評価されています。
ちなみに、サン=ルイとはルイ大王こと、フランス絶対王政時代の偉大な王であったルイ14世にちなんだもの。アメリカ南部にも似たような名前のセントルイス市がありますが、これはルイ9世のほうのサン=ルイから命名されていて、同じ名前なのですが、人物が違うというややこしさ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。