| 登録区分 | 文化遺産 |
|---|---|
| 登録基準 | (2),(3) |
| 登録年 | 2026年 |
野口王墓(のぐちのおうのはか、天武・持統天皇陵古墳)は「飛鳥・藤原の宮都」の構成遺産の一つ。ここは飛鳥時代の天皇である天武天皇と持統天皇の合葬陵とされています。ところで、野口王墓はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは野口王墓がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、野口王墓について詳しくなること間違なし!
野口王墓(天武・持統天皇陵古墳)とは?

奈良県明日香村にある古墳。墳丘は現在東西約58m、南北径45m、高さ9mの八角墳となっています。7世紀に建造されたと考えられ、2つの石室があり、ここは第40代の天武天皇の乾漆棺(かんしつかん、漆を重ねて建造した棺)と第41代の持統天皇の骨壷が収められている合同陵とされるもの。
しかし、1235年には盗掘に遭い、副葬品は奪われてしまい、持統天皇の骨壷も奪われ、近くに遺棄されてしまいました。それもあり、室町時代から江戸時代までは古墳の管理はあまりされておらず、石室の内部も人が入っていたくらいなのですが、1871年になると明治政府によって「天武・持統天皇陵」として正式に治定。現在は宮内庁が管理しているため、内部には入れず、拝所が置かれています。
野口王墓(天武・持統天皇陵古墳)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?



飛鳥・藤原の宮都が評価されたのは?以下の点。
登録基準(ii)
これらは中国大陸や朝鮮半島との交流と仏教伝来を示し、後代にも大きな文化的影響を与えたということ。
登録基準(iii)中央集権体制を基盤とした東アジアの古代宮都の形成過程を、飛鳥宮、藤原宮等の立地・レイアウト・関係性・構成の変遷から示す重要な物証であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
野口王墓は古墳としては珍しく、治定に間違いがなく、天武・持統天皇陵として宮内庁により管理されていて、飛鳥時代を代表する歴史的人物の陵としては貴重なもの。
ちなみに、橿原市にある日本でも6番目に大きい「丸山古墳」も天武天皇の陵とされていましたが、江戸時代から議論があり、結局は野口王墓が正式に陵墓とされています。現在では陵墓参考地になっていますが、6世紀後半に建造されたと考えられることから、むしろ、こちらよりも古く、第29代の欽明天皇(きんめいてんのう)の陵という説もあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。








