中国の世界遺産「土司遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3)
登録年2015年

中国南部の山岳地帯はかつて「土司(どし)」と呼ばれる、中央の歴代王朝によって任命された世襲制の首長によって支配されていました。ここには13世紀から20世紀初頭にかけて土司によって使用された建築物の遺構が残っています。土司は少数民族がその習慣と生活様式を保持しながら暮らすことを認めれらるという制度でもありました。国家によって地域を統一するということを目的とした、土司にまつわる3つの遺跡には、中国王朝による統治を示す証拠でもあります。

ここでは土司遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、土司遺跡群について詳しくなること間違いなし!

目次

土司遺跡群とは?

土司遺跡群
画像素材:Alphaarea(Wikimedia Commons)

土司とは、中国の歴代の王朝が南部を支配するために、地方の世襲制の首長を「土司」として任命して、彼らの監修や生活様式を維持しつつ、国家を統一するという目的で作られた制度。中国南部に点在する土司遺跡は13世紀から20世紀初頭にかけて土司制度がここに存在したということを示し、中央の王朝との外交や交易を行った形跡を今でも残しています。現在は湖南省永順の「永順老司城遺跡」、湖北省咸豊県の「唐崖土司城遺跡」、貴州省遵義市の「播州海竜屯」という3つの遺跡が世界遺産に登録。

これらには記念碑や管理施設の遺構、境界線、排水溝、墓などが含まれています。これらは地元の民族と中国の中央政府との交流が見られ、かつての歴代中国王朝の支配域を示すというのが特徴。一方、土司と少数民族の文化的伝統も示すというもの。

土司遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

土司遺跡群
画像素材:Alphaarea(Wikimedia Commons)

土司遺跡群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
土司遺跡群は、中国南部の文化と中央王朝の文化が交差した、アイデンティティや価値観の交流を示すという点。

登録基準(iii)
土司遺跡群は中国南部における土司による統治システムの証拠であり、元・明・清の時代まで少数民族による初期の行政システムから派生したものであるということを示しているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

中国南部にはかつて土司と呼ばれた地方の首長にまつわる遺構が残っていて、これらは当時の現地の文化と中央政府の文化が融合し、少数民族による行政システムが分かるという点で評価されています。

ちなみに、土司に対して、科挙で合格して全く関係のない土地を転々と巡る役人は「流官」と呼ばれました。やがて明や清の時代になると、彼らを地方に赴任させて、土司を次第に廃止させていくという「改土帰流」と及ばれる王朝の方針が進められ、土司の制度は衰退していったとか。恐ろしや。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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