ボスニア・ヘルツェゴビナは、バルカン半島の北西部に位置する国で、かつてユーゴスラヴィア連邦を構成していました。古くからボシュニャク人やクロアチア人、セルビア人などが住むという文化が交差する地で、ヨーロッパにおいてイスラム教の建造物が残るというのも独特。
ここでは、ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
モスタル旧市街の古い橋(スタリ・モスト)の地区
ボスニア・ヘルツェゴビナ南部のネレトヴァ川沿いにあるモスタルは、15世紀にオスマン帝国によって支配されると「モスタル」と呼ばれるようなりました。これは橋の番人である「モスタリ」が由来しています。
オスマン帝国時代に建造された古い橋(スタリ・モスト)は、1990年代のボスニア戦争によってほとんどが破壊。しかし、2004年にユネスコと各国の援助によって復元され、国際協力、民族と宗教の和解のシンボルとなっています。
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ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋
ヴィシェグラードは、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国にある小さな町です。この地に人々が住み始めたのが15世紀。オスマン帝国によって支配を受けると、16世紀末に街を流れるドリナ川に宮廷建築家であったミマール・スィナンによって橋が造られました。11のアーチを持つ、179.5mの華麗な橋は、ミマール・スィナンの建築の中でも傑作とされる建築物です。
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中世墓碑ステチュツィの墓所群(セルビア、モンテネグロ、クロアチアと共同)
ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、クロアチアには中世の墓碑であるステチュティが点在し、これらは合計で7万を越え、12世紀後半から16世紀にかけて建造されたもの。
中世には、この地域はボスニア王国(1377〜1463年)によって支配されていて、当時のローマ・カトリックや東方正教会から異端とされていたボスニア教会に属する地域が多かったという点で、墓碑には独特の文化が見られます。
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カルパティア山脈とヨーロッパ各地の古代及び原生ブナ林
ヨーロッパブナは、北はスウェーデン南部から南は地中海岸、西はポルトガル、東はトルコまで広がっていて、氷河期後期には、ヨーロッパの約40%はヨーロッパブナ(ファグス・シルヴァティカ)の林が広がっていました。
登録エリア各地にはブナの原生林が広がっていて、ヨーロッパブナの原生林としては世界最大の規模を誇ります。
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ヴィエトレニツァ洞窟、ラヴノ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ南部の村ラヴノの郊外に位置するヴェエトレニツァ洞窟は、合計6100mもの地下水路があり、ここは国内でも最長の洞窟となっています。内部は、鍾乳石や大きな空洞、湖、滝、小川など、さまざまな景観が広がる美しい洞窟。
洞窟で暮らすトログロバイトは85種も生息していて、多種多様な動物が見られるのが特徴。そして、動物の化石も発見されていて、洞窟ではさまざまな研究が行われてきました。
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世界遺産マニアの結論と感想
旧ユーゴスラビア連邦の構成国であり、面積はそれほど広くはないですが、文化遺産が3つ、自然遺産が2つと合計で2つもあります。ボスニア・ヘルツェゴビナ独自の遺産はモスタルとヴィシェグラード、ヴィエトレニツァ洞窟、ラヴノの3つ。モスタルとヴィシェグラードはどちらもオスマン帝国時代に建造されたもので、バルカン半島の複雑な歴史が見られるのが特徴です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。