登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4), (5) |
登録年 | 1995年 |
相倉集落(あいのくらしゅうらく)は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の構成資産の一つ。世界遺産に登録されている合掌造りの中でも最も北側にある集落です。ところで、相倉集落はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは相倉集落がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、相倉集落について詳しくなること間違いなし!
相倉集落(越中五箇山合掌造り集落)とは?
富山県の南砺市にあり、かつて平村(たいらむら)と呼ばれていたエリアは、世界遺産としては最も北側にある合掌造り集落でもあります。ここは20棟の合掌造りの家屋が登録されていて、これらは江戸時代から明治時代にかけて建造されたもの。かつては平家の落人が住み着いたという伝説も残っています。
集落には合掌造りの家屋は20棟あり、これらは江戸時代末期から明治時代末期にまで建造され、切妻側に入り口があるという「妻入り」の家屋が多いのが特徴。岐阜県側の白川郷と同じく、段丘が多くて米作りには不向きな地で、戦国時代から江戸時代には塩硝作りが盛んで、当時この地を領地としていた加賀藩が買い付けていました。
相倉集落(越中五箇山合掌造り集落)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
相倉集落が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
白川郷・五箇山の合掌造り集落は、環境に適応しながら暮らし続けてきたという優れた伝統的集落であるということ。
登録基準(v)
1950年以降、日本は経済発展によって人々の暮らしが変わりましたが、この地では長い伝統をそのまま続けていて、合掌造り集落は昔からの社会制度をそのまま維持してきたという証拠でもあるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
相倉集落は山々に囲まれた地にあり、合掌造りという古くからの伝統家屋が近代まで残ったという背景もあり、これらは人々が環境に適応しながら暮らしてきた証拠でもあるという点で評価されています。
ちなみに、現在の相倉集落は水田が見られますが、これは割と最近に完成した風景で、かつては焼き畑によってヒエやアワなどが栽培されていました。そういった背景もあり、蕎麦などもよく栽培されていて、現在でも村のレストランや食堂では、お蕎麦が名物。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。