ブルガリアの世界遺産「ネセバルの歴史都市」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3),(4)
登録年1983年

ブルガリア東部・黒海沿岸の岬を中心とした都市ネセバルは、3000年以上前に先住民トラキア人が暮らしたメネプリアと呼ばれる街が起源。ギリシャの植民地になり、交易の拠点となると、やがてビザンツ帝国(東ローマ帝国)によって支配されます。ここにはヘレニズム期の神殿やビザンツ様式の教会など、黒海において重要な都市であったことを示す建築物が点在。

ここではネセバルの歴史都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ネセバルについて詳しくなること間違いなし!

目次

ネセバルの歴史都市とは?

画像素材:shutterstock

ブルガリア東部ブルガス州の北東に位置するネセバルは、黒海で有名なリゾート地。世界遺産に登録されている歴史都市は、岬の先端部分で、ここはかつては島でしたが、後世になると人工の通路が築かれ、半島になりました。

もともとは、約3000年以上前に先住民トラキア人が暮らしたメナブリアという集落がありましたが、紀元前6世紀ころにギリシャの植民地となりました。それ以降は、文化と経済における中心都市となり、やがてビザンツ帝国によって支配。その後、ブルガリア帝国や十字軍、オスマン帝国と次々に支配者が変わっていきます。

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世界遺産に登録されている旧市街には、『ローマ法大全』を編纂した東ローマ帝国の皇帝ユスティアヌス1世によって設立された旧府主教座聖堂(聖ソフィア聖堂)が遺構として残っています。その他にも、ヘレニズム期の神殿やビザンツ様式の教会などが残っているものの、聖堂は10棟ほどしか残っていません。

町は15世紀以降にオスマン帝国に支配されると衰退していきました。19世紀には黒海沿岸でよく見られる東ルメリア様式の木造建築の邸宅が築かれるようになり、これらは現在でも見られます。

ネセバルの歴史都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ネセバルが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
ネセバルの歴史都市は、紀元2000年頃からの考古学遺跡、ギリシャ時代の要塞、ヘレニズム期の神殿や邸宅、中世のキリスト教の聖堂が並ぶという、多くの文明の痕跡を残す多層的な文化・歴史遺産であり、現在でも発展し続ける都市であるという点。

登録基準(iv)
ネセバルの歴史都市は、岩の多い半島に紀元前2000年から古代、中世、ブルガリアのルネサンスの都市構造が見られ、長期的な人間の暮らしが見られるもの。ここに残る中世の聖堂と都市遺跡は、バルカン半島と東地中海の建築の完成度を証明するということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ネセバルは、4000年以上もの歴史を誇るとされ、ここはギリシャ、ヘレニズム、中世、ルネサンスなど、多くの文明が一つの町に重なるという都市で、長期的な暮らしが見られるという点で評価されています。ここはバルカン半島と東地中海の建築様式が集約しているというのもポイント。

ちなみに、町の入口にある風車は、ネセバルのシンボル的存在。ここは17~19世紀にかけてブルガリアの文化復興が盛んだった時代の建築物とされていますが、実は歴史に関してはさまざまな説があってルーツを探るのは難しいとされています。…一応世界遺産に登録されている「コアゾーン」にあるのですが、世界遺産マニアにとっても不明。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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