登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
軍艦島(端島炭坑)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。海底炭鉱によって島は大いに繁栄し、コンクリート状の建造物が狭い敷地に林立していったことから現在の形となりました。ところで、端島炭坑はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは端島炭坑がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 端島炭坑について詳しくなること間違いなし!
軍艦島(端島炭坑)とは?
軍艦島はあくまでも通称で、正式名称は端島(はしま)。長崎半島の沖合に浮かび、高島から約2.5kmの位置する小さな島。現在は埋め立てが進み、軍艦のような形となっていますが、もともとは南北約320m、東西約120mの小さな浅瀬でした。ここは江戸時代後期に石炭が発見されると、佐賀藩や幕府側の領民たちによって露出している炭をとる程度でした。
明治時代になると、地下36mもの長さのある竪坑が築かれ、これが後に第一竪坑となります。1890年に三菱社が買取り、3つもの海底坑道が建造され、一時は隣にあった高島炭鉱よりも出炭量が多かった時期があるほど。
炭鉱が繁栄すればするほどに労働者が増えていき、1916年に日本で最初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅が築かれると、島内には高層アパートが建造されていきました。かつては小中学校や店舗、病院、寺院、映画館などの娯楽施設まであったため、島内で生活がほぼ完結してしまうほど。1960年になると、人口は5267人となり、なんと人口密度は当時世界一というほどになったのです。
一方、日本のエネルギーは1960年代に石炭から石油へ移行したため、1974年に閉山。その後は長らく三菱マテリアルが所有していましたが、ここは解体はされずにそのまま廃墟になってしまったため、廃墟ブームの影響で人気観光スポットに。
実は世界遺産としては、明治に建造された岸壁と海底坑道のみがコアゾーンとして登録されています。これ以外の建造物はあくまでも世界遺産を保護するバッファゾーン(緩衝地帯)という構造。海底坑道は非公開であり、伝統的な石組みで組まれた岸壁はほとんどがコンクリートで補強されているため、当時の石組みが見える部分は少ないのです。
軍艦島(端島炭坑)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
端島炭坑が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
軍艦島は廃墟ブームで人気の観光スポットではありますが、世界遺産としては炭鉱遺跡として登録されたもの。端島炭坑は近くに浮かぶ高島とともに、日本でも有数の出炭量を誇った炭鉱でもあり、東アジアの工業化に大いに貢献したという点で評価されています。
ちなみに、軍艦島という名称が使われたのは意外と古く、1916年に大坂朝日新聞が「軍艦と見間違いそうである」と報道したり、1921年には地元の新聞社が当時長崎造船所で建造していた戦艦・土佐のシルエットと似ていることから「軍艦島」と呼んだりと、大正時代には既にそのように呼ばれていたとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。