なぜ「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」は世界遺産でないのか?そのあたりの事情を世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(3),(4),(5),(6)
申請年(暫定リスト)2007年

かつて飛鳥時代の都が存在していた明日香村と藤原京跡。古墳や寺院跡などを含めて現在世界遺産の登録を目指しています。しかし、これだけ有名な観光地なのになぜ今まで世界遺産になっていなかったのか?

ここでは飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群が、なぜ今も世界遺産でないのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、世界遺産としての飛鳥・藤原の宮都について詳しくなること間違いなし!

目次

飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群とは?

明日香村/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

これらは一般的に飛鳥時代(592〜710年)と呼ばれる時代の建造物で、現在の奈良県中西部にある明日香村、桜井市、橿原市に残る文化財で構成されています。これらは日本という国の形成期に建造されたもので、奈良時代の都・平城京に至るまでの日本の「都」とその周辺の文化財が入り交じる文化的景観が見られるという点で評価。

藤原宮跡/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

ここは日本でも最初期の「都」として機能した都市で、遺跡は主に天皇や皇族が暮らした宮殿跡を含め、それらの関連した建造物が残っています。これらを調査することで、当時の政治・社会・文化・宗教感などがよく分かるというのが特徴。キトラ古墳の壁画などは中国や朝鮮半島などからの影響も見られ、東アジアとの交流の足跡も残っています。

そして、『万葉集』などで登場する天香久山など、日本最初の詩集にも、この地の風景が度々登場しています。ここは日本古来の文学の故郷でもあり、その後の芸術の発展にも大きく影響を与えました。

飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群はなぜ世界遺産として登録されないの?

石舞台古墳/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

もちろん、日本政府も明日香村の文化財の価値を理解しているので、2007年には「飛鳥・藤原-古代日本の宮都と遺跡群」として、世界遺産の暫定リストとして登録しています。しかし、この「暫定リスト」というのはあくまでも「世界遺産候補」というだけであって、正式に世界遺産に認められるには、毎年開催される世界遺産委員会にて、文化遺産としてふさわしいか専門調査が行われた後、委員会で決定され、初めて世界遺産になるのです。

飛鳥京跡/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

2008年には暫定リストに登録されたものの、ここからがスタートで、現在は世界遺産委員会に推薦されるための準備を進めている段階です。現在は、奈良県、明日香村、桜井市、橿原市によって推薦書の素案が完成した段階で2020年には文化庁に提出。2024年の登録を目指していましたが、2022年に推薦予定だった「佐渡島の金山」の書類不備によって2023年になったので、こちらは2024年以降の推薦に回されました。よって、順番待ちになったので、早くとも2025年以降の登録になる予定。

飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

石舞台古墳/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。

登録基準(ii)
文化の交流を示すもの

登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠

登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本

登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本

登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術

飛鳥京跡/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

実は世界遺産の登録価値というのは、2010年までは言明する必要性がなかったため、暫定リストには詳しくは記載がありません。ただ世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会による特設サイトによると…

・日本という国家成立の過程を証明するもの
飛鳥・藤原という限定したエリアには、宮殿や祭祀場、庭園、寺院、古墳などの考古学遺跡があり、これらは国家成立の過程を示すもの

・東アジアとの交流を示すもの
当時中国の王朝(隋・唐)が統一され、周囲の国家では、中国の文化に影響され、ここも日本の伝統文化と東アジアの最先端の文化を融合させた文化財が多く点在するという点

…このあたりで提案していく様子だそうです。

飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群として登録された際の構成遺産

宮殿と官衙(役所)

藤原宮跡/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

これらは律令国家が形成していく上での中枢機構の発展の過程を示すもの。例えば、7世紀建造の「飛鳥宮跡」は政務の場と私邸が一帯となった飛鳥時代初期の宮殿で、百済などの朝鮮半島の王都とよく似ています。

橿原市にある「藤原宮跡・藤原京朱雀大路跡」は、飛鳥時代後期のもので、平城京や平安京のような広大な敷地に、日本の宮殿では初めて中国式宮殿様式が採用。ここは天皇の公的空間と私的空間を完全に分け、役所や官寺が配置されたもので、日本独自の宮殿建築となりました。この宮殿の様式は、平城京や平安京にも影響を与えています。

仏教寺院

本薬師寺跡/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:写真AC

古墳時代に持ち込まれた仏教がやがて国家宗教となった時期で、日本独自の仏教寺院が成立していきました。「飛鳥寺跡」は、596年に完成した日本で最初の本格的伽藍を持つ仏教寺院で、渡来人の指導と日本の職人によって造営。そして、藤原京には大官大寺跡や本薬師寺跡など、国家による寺院が形成されていくのです。

墳墓(古墳)

高松塚古墳・女子群像/飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
画像素材:Mehdan(Wikimedeia Commmons)

この時代の古墳は、蘇我馬子の墳墓である「石舞台古墳」のように前方後円墳の技術を応用しつつも、中国や朝鮮半島からの流れを組む方形墳を採用されていることからも、国家の体制の変化が見られます。

藤原京時代に作られた「キトラ古墳」は、天井に四神図(玄武・青龍・朱雀・白虎)が描かれていて、新たなる墳墓の様式が見られます。そして、この時代を代表する「高松塚古墳」は、西壁にある「女子群像」など、高句麗(朝鮮半島北部にあった国家)の墳墓の影響を受けているとも考えられていて、大陸との深い関わりが墳墓にも影響を与えていることが分かるというもの。

世界遺産マニアの結論と感想

日本史における飛鳥時代は日本における国家が形成される時期であったと考えられていて、飛鳥と藤原の宮都は、日本独自の文化と大陸の文化が入った建物が築かれました。現在はほとんどが遺跡になったものの、これらは国家形成における大事な証拠であることが世界遺産としての価値があると考えられています。…古墳以外は「見た目の迫力」がないというだけで分かりづらいかもしれませんが。

ちなみに、「飛鳥寺」は現在も明日香村に存在するものの、本堂は19世紀に再建されていて、内部には重要文化財である釈迦如来像(飛鳥大仏)があります。高さは275.2cmしかありませんが、609年(606年説も)に築かれたもの。ある意味「大仏」の元祖的存在でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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