フランスの世界遺産「ヴェルサイユの宮殿と庭園」とは?建築様式や鏡の間を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(6)
登録年1979年

パリの郊外にあるヴェルサイユの街には、17世紀に太陽王・ルイ14世(1638〜1715年)が建造したヴェルサイユ宮殿があります。ここは多くの建築家や彫刻家、芸術家、造園家などによって建設された、ヨーロッパの中でも最も優雅な宮殿で、フランス・バロック様式の最高傑作。

ここでは、ヴェルサイユの宮殿と庭園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴェルサイユ宮殿について詳しくなること間違いなし!

目次

ヴェルサイユの宮殿と庭園とは?その歴史を解説

ヴェルサイユの宮殿と庭園
画像素材:shutterstock

パリから南西へ22kmの距離にあるイヴリーヌ県ヴェルサイユには、ルイ14世からルイ16世まで暮らした豪華な王宮があります。フランスの絶対王政の君主であったルイ14世が、建築家のルイ・ル・ヴォー(1612〜1670年)とジュール・アルドゥアン=マンサール(1646〜1708年)、装飾家シャルル・ル・ブラン(1619〜1690年)、造園家アンドレ・ル・ノートル(1613〜1700年)など、当時としては最高峰の芸術家や技術者に宮殿の設計を依頼しました。

ルイ13世の狩猟の館があった場所に1661年に着工し、1682年に完成したものの、その後、増改築が続き、建設が完了したのはなんと18世紀になってから。贅を尽くした宮殿はヨーロッパで最も優雅な宮殿となり、フランス・バロック様式の最高傑作となりました。

ヴェルサイユ宮殿の建築様式は?

王室礼拝堂/ヴェルサイユの宮殿と庭園
画像素材:shutterstock

ヴェルサイユ宮殿はバロック様式の傑作と称されるもの。バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)で、イタリアではカルロ・マデルノ(1556年〜1629年)のような先駆的なバロック芸術家を輩出するも、17世紀になると経済大国となりつつあったフランスは、芸術の中心であるイタリアからその座を奪いつつありました。

特に最初に設計を担当したルイ・ル・ヴォーは宮殿建築が得意で、やがてヨーロッパ中の宮殿でこの建築様式が取り入れられました。そして、ルイ14世の首席建築家になったジュール・アルドゥアン=マンサールは、1670年以降ヴェルサイユの大増築に関わっていき、特に彼が改築した「鏡の間」はバロック建築の傑作でもあります。

登録されている主な構成資産

宮殿

マリー・アントワネットの部屋/ヴェルサイユの宮殿と庭園
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もともとこの地には1624年にルイ14世の父親であるルイ13世によって狩猟小屋が作られました。ルイ14世はこの地を気に入り、1661年にルイ・ル・ヴォーに依頼し、宮殿の設立を依頼。1678年以降はジュール・アルドゥアン=マンサールによって宮殿と庭園は大幅に拡大しました。

宮殿のファサードは、なんと400mもあり、シンメトリーとなっています。そして、正面玄関から続く道はパリへと繋がるというもの。

鏡の間

宮殿/ヴェルサイユの宮殿と庭園
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この宮殿で最も有名な部屋である「鏡の間」はル・ヴォーがデザインした列柱廊をジュール・アルドゥアン=マンサールが改装したもので、幅10m、全長73mの大部屋です。17の窓と対になるように17の鏡を壁に埋め込んだという壮麗な空間。さらに天井にはル・ブランによってルイ14世の功績を称える、戦争をテーマにした壁画が描かれています。

当時は高級品であった鏡を多用し、窓から光が差し込むと鏡に光が増幅され、室内のシャンデリアなどが光でキラキラと輝くという構造。1919年に調印された「ヴェルサイユ条約」も、この部屋で行われました。

庭園と噴水

庭園/ヴェルサイユの宮殿と庭園
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造園家アンドレ・ル・ノートルによって設計された庭は、十字形の大運河を中心に噴水や花壇などが配置されています。黄金のカエルの像に囲まれた「女神ラトーナの噴水」、馬車に乗ったアポロンを表現した「アポロンの泉水」など、豪華絢爛な庭園。10km離れたセーヌ川に「マルリーの機械」というポンプを持つ装置を作り、宮殿内の貯水槽に溜め込むという仕組みになっています。

ルイ14世も庭園がお気に入りで「王の庭園鑑賞法」という世界初のガイドブックを作り、庶民でも楽しめるようにするというのも庭園の目的でした。

グラン・トリアノン(大トリアノン宮殿)

グラン・トリアノン(大トリアノン宮殿)/ヴェルサイユの宮殿と庭園
画像素材:shutterstock

庭園の北側、1687年にジュール・アルドゥアン=マンサールによって設計された離宮。もともとはルイ14世の磁器コレクションの展示館でしたが、後に宮殿に改装されたもの。ピンクの大理石の「柱の回廊」やナポレオンの王妃、マリー・ルイーズが滞在した「王妃の部屋」などがあります。

プチ・トリアノン(小トリアノン宮殿)

プチ・トリアノン(小トリアノン宮殿)/ヴェルサイユの宮殿と庭園
画像素材:shutterstock

グラン・トリアノンの先にある離宮。ルイ15世によって建造された新古典主義の建造物。ルイ16世が王妃マリーアントワネットにここを与え、庭園にはマリーアントワネットが村の生活を体験するために作った「ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ」や愛人のフェルゼンと過ごした「愛の神殿」などが残ります。

ヴェルサイユの宮殿と庭園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ヴェルサイユの宮殿と庭園
画像素材:shutterstock

ヴェルサイユ宮殿が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ヴェルサイユの宮殿と公園は、広大な敷地に独創的な建造物や彫刻、絵画などで構成されているという点。

登録基準(ii)
ヴェルサイユ宮殿は、17世紀後半から18世紀までヨーロッパの宮殿建築に大きな影響を与えているということ。

登録基準(vi)
ヴェルサイユでは、ルイ14世による華麗な宮廷生活を実現するために、社交のためのエチケット(礼儀作法)などの文化が生まれたり、芸術や音楽、演劇、科学などの発展に寄与したということ。

世界遺産マニアの結論と感想

フランス・バロック様式の傑作であるヴェルサイユ宮殿は、その後のヨーロッパ各国の宮殿建築に大きな影響を与えました。この宮殿と庭園は、社交のためのエチケットである「マナー」を生み出されたり、多くの知識人が集められ、文化や科学が発展する場でもあったというのも評価のポイント。

ちなみに、『ベルサイユのばら』でもおなじみのマリーアントワネットですが、パリで処刑されてしまう運命に。しかし、プチ・トリアノンは彼女のお気に入りの地だったためか、彼女の亡霊が表れることで有名で目撃談も多いのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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