タイの世界遺産「スコータイ歴史公園(遺跡)」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(1),(3)
登録年1991年

スコータイ歴史公園は「スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町」の構成資産の一つ。ここは13〜14世紀に栄えたスコータイ王朝の首都だった場所に位置する遺跡。ところで、スコータイ歴史公園はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではスコータイ歴史公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、スコータイ歴史公園について詳しくなること間違いなし!

目次

スコータイ歴史公園(遺跡)とは?かつてスコータイ王朝の首都だった場所

スコータイは、13〜15世紀に栄えたスコータイ王朝の首都だった場所。ここはタイ族にとって初めての王朝であり、スコータイ王朝で発展した都市建築は、その後のタイの諸都市において多くの影響を与えたのが特徴。

現在は廃墟となっており、公園として開放されています。公園は東西1.8km、南北1.6kmの城壁に囲まれ、中心部には王宮や仏教寺院などが多く残る遺跡公園。城壁の外にもそれぞれに仏教遺跡が点在しています。

ワット・マハータート

ワット・マハータート/スコータイ歴史公園
画像素材:shutterstock

13世紀に王朝が創設された時期と同時に設立された寺院。王国の中心的な仏教寺院で、中心は仏塔があり、敷地内には仏像などが多く点在しています。スコータイ様式だけでなく、モン族やクメール族など、周辺国の建築様式も見られるのが特徴。ここは14世紀中頃に改修され、何度も増築されていきました。

ワット・サシー

ワット・サシー/スコータイ歴史公園
画像素材:shutterstock

14世紀末に完成したと考えられている小さな寺院。池の島に浮かぶ寺院で、スリランカ式の仏塔もあります。碑文によると、第6王リタイ(在位1347〜1368/74年)の遺灰が納められているとされ、東方の礼拝堂には仏坐像が安置。

ワット・シーサワーイ

ワット・シーサワーイ/スコータイ歴史公園
画像素材:shutterstock

中心部の南側に位置する寺院。ここは12世紀末〜13世紀初期に建造され、もともとはヒンドゥー教の寺院として建造されましたが、後にタイ族がこの地を支配するようになると、仏教寺院となりました。シンボル的存在の3基の塔堂(プラーン)は、アンコール王朝のクメール様式の影響が見られるもの。

ワット・シーチュム

ワット・シーチュム/スコータイ歴史公園
画像素材:shutterstock

城壁からは北西に位置する寺院。13世紀に着工し、14世紀末に完成。シー・チュムは「菩提樹の森」をいう意味で、中央の巨大な仏堂は高さ15m。仏堂にある大仏は遺跡内最大の大きさで、スコータイのシンボル的な存在。

周囲には、高さ15m、幅32mの仏堂で囲まれていて、壁は二重構造となっています。東側の壁には狭い階段の通路があり、釈迦の前世が彫られた50枚以上のスレート(石板)が発見されました。

スコータイ歴史公園(遺跡)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ワット・マハータート/スコータイ歴史公園
画像素材:shutterstock

スコータイ歴史公園が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
町の計画から多くの仏教建築、配水などのインフラなど、充実した都市であったということ。

登録基準(iii)
タイ初期の芸術と建築、言語、文学、宗教などがスコータイにて開花したという点。

世界遺産マニアの結論と感想

スコータイ歴史公園は、かつて繁栄したスコータイ王朝の首都だけあって、寺院だけでなく、インフラなどの跡も残り、これらの都市遺跡からは芸術や文化などが発展したということを示すという点で評価されています。

ちなみに、ウルトラマンの顔のモデルは、スコータイ仏を参考に円谷プロダクションが製作したという噂がありますが、これはタイの特撮スタジオを持つ「チャイヨー・プロダクション」が円谷プロダクションと仲が悪くなってから出てきたものだとか。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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