トルコの世界遺産「聖母マリアの家(エフェソス)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (4), (6)
登録年2015年

聖母マリアの家は「エフェソス(エフェス)」の構成資産の一つ。エフェソスは、イエス・キリストの十二使徒の一人であるヨハネが暮らした地で、郊外の礼拝所には彼が連れてきた聖母マリアが暮らしてたとされています。ところで、聖母マリアの家はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは聖母マリアの家がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、聖母マリアの家について詳しくなること間違いなし!

目次

聖母マリアの家とは?

聖母マリアの家
画像素材:shutterstock

トルコの西部に位置するセルチュクの街から7kmから離れた位置にある礼拝所。33年頃にイエス・キリストが聖地エルサレムで磔刑となると、聖母マリアはこの地で十二使徒の一人であるヨハネとともに暮らしたという伝説が残っています。とはいえ、これはあくまでも後年に作られたとされる伝説で、初めて言及されたのは400年代というもの。

しかし、19世紀にアンナ・カタリナ・エンメリックというドイツ出身の修道女が幻視し、エフェスソスのこの場所に聖母マリアが住んでいたという姿を見たということを記録した本が出版されると、1881年にフランスの司祭がこの場所を発見。それ以降は多くの人々がここを訪れるように。ローマ教皇庁は公式には聖母の家としては認めていないものの、歴代の教皇も訪れることから、一般的には「聖地」と見なされ、今では多くの巡礼者が訪れます。

聖母マリアの家はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

聖母マリアの家
画像素材:shutterstock

聖母マリアの家が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
エフェソスには、ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代の各時代の建造物が残っているということ。

登録基準(iv)
エフェソスは、ギリシャ時代から中世まで港の位置が変わったように、地形の変化によって居住地の風景が変わるという例であるという点。

登録基準(vi)
エフェソスでは、2回もの公会議が行われるなど、キリスト教世界における重要な事項が決まった土地。ここは、アルテミス信仰から現代のキリスト教まで、アナトリア半島における宗教の足跡が残る遺跡であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

聖母マリアの家は、使徒ヨハネがエフェソスで暮らしたことから、聖母マリアを連れて暮らしたという伝承もあり、郊外の建造物が聖母マリアの家として、今でも大事にされているという点で評価されています。

ちなみに、世界遺産としては登録されていませんが、聖地エルサレムのオリーブ山の麓にある「聖母マリア墳墓教会」が一般的には聖母マリアの墓とされています。とはいえ、カトリック教会の教義では、聖母マニアは肉体のまま天国に上げられた(被昇天)とされているので、そもそも肉体的な「死」を経験したかどうかも議論が起きているところ。そもそも聖母マリアの末期は聖書に記載がないので、彼女の晩年が分からず、誰もなんとも言えないのですが…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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