奈良県の世界遺産候補「野口王墓(天武・持統天皇陵古墳)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(3),(4),(5),(6)
申請年(暫定リストに記載)2007年

野口王墓(のぐちのおうのはか、天武・持統天皇陵古墳)は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産の一つ。ここは飛鳥時代の天皇である天武天皇と持統天皇の合葬陵とされています。ところで、野口王墓はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?

ここでは野口王墓がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、野口王墓について詳しくなること間違なし!

目次

野口王墓(天武・持統天皇陵古墳)とは?

野口王墓(天武・持統天皇陵古墳)

奈良県明日香村にある古墳。墳丘は現在東西約58m、南北径45m、高さ9mの八角墳となっています。7世紀に建造されたと考えられ、2つの石室があり、ここは第40代の天武天皇の乾漆棺(かんしつかん、漆を重ねて建造した棺)と第41代の持統天皇の骨壷が収められている合同陵とされるもの。

しかし、1235年には盗掘に遭い、副葬品は奪われてしまい、持統天皇の骨壷も奪われ、近くに遺棄されてしまいました。それもあり、室町時代から江戸時代までは古墳の管理はあまりされておらず、石室の内部も人が入っていたくらいなのですが、1871年になると明治政府によって「天武・持統天皇陵」として正式に治定。現在は宮内庁が管理しているため、内部には入れず、拝所が置かれています。

野口王墓(天武・持統天皇陵古墳)はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

野口王墓(天武・持統天皇陵古墳)

日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。

登録基準(ii)
文化の交流を示すもの

登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠

登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本

登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本

登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術

世界遺産マニアの結論と感想

野口王墓は古墳としては珍しく、治定に間違いがなく、天武・持統天皇陵として宮内庁により管理されていて、飛鳥時代を代表する歴史的人物の陵としては貴重なもの。

ちなみに、橿原市にある日本でも6番目に大きい「丸山古墳」も天武天皇の陵とされていましたが、江戸時代から議論があり、結局は野口王墓が正式に陵墓とされています。現在では陵墓参考地になっていますが、6世紀後半に建造されたと考えられることから、むしろ、こちらよりも古く、第29代の欽明天皇(きんめいてんのう)の陵という説もあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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