登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (1), (2) |
申請年(暫定リストに記載) | 2020年 |
パレスチナのヨルダン川西岸地区にあるエリコ(イェリコ)は古くからの人類の定住地として有名。町の北側にあるヒシャム宮殿は初期イスラム王朝であるウマイヤ朝(661〜750年)時代の遺構が残っていて、特にモザイク床は美しく、世界でも最大級のものです。
ここではヒシャム宮殿/キルベット・アル・マフジャールがなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヒシャム宮殿/キルベット・アル・マフジャールについて詳しくなること間違なし!
ヒシャム宮殿/キルベット・アル・マフジャールとは?
ヨルダンとの国境ともなっているヨルダン川から約15km離れた位置にあるエリコの町。ここは海抜マイナス258mにあり、世界で最も標高の低い町として知られます。町の北部にはあるヒシャム宮殿は遺構となっているものの、初期のイスラム王朝であるウマイヤ朝時代の8世紀に建造され、20世紀に第10代のカリフであったヒシャム(691〜743年)の名が刻まれたオストラコン(陶器のかけら)が発見されたことから、ここはヒシャム宮殿と名付けられました。
ここはカリフの別荘地であったとされ、749年の地震で建造物は崩壊しましたが、その後10世紀にかけては農地であり、上流階級の邸宅が並んでいたとされています。現在は宮殿の遺構の中にモスクや謁見の間などの跡地が残り、特に浴場跡にあるモザイク床は「生命の樹」と呼ばれる木の根元とライオン、ガゼルが描かれたデザインで、モザイクにおける世界的傑作。
ヒシャム宮殿/キルベット・アル・マフジャールはどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
ヒシャム宮殿/キルベット・アル・マフジャールが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ヒシャム宮殿は、初期イスラム建築と装飾における芸術の傑作であり、これらはモザイクの床や彫刻などに見られます。特に謁見の間にある約900平方mのモザイク床は初期イスラム時代のモザイクでも最もよく保存された例であるという点。
登録基準(ii)
ヒシャム宮殿は、イスラム教の建造物ではありましたが、ビザンツ帝国やサーサーン朝、コプト教(エジプトを中心としたキリスト教の宗派)といった文化交流が見られ、かつてのギリシャやローマの文明から引き継がれ、ウマイヤ朝の独自の芸術と建築様式が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ヒシャム宮殿は、ギリシャ・ローマ時代の建築様式や技術を継承しながら、周辺国の影響を受け、独自のイスラム建築を築いたという証拠を残し、そのモザイク床の規模や質ともに初期イスラム建築の傑作であるという点で評価されています。
ちなみに、ヒシャムの甥であり、第11代のカリフ・ワリード2世(709〜744年)もここで暮らしていたのですが、彼は大酒飲みで有名で、メッカのカアバ神殿の屋根で酒を飲もうとするほどに不届き者であったため、たったの1年弱で反乱が発生してしまったという情けないエピソードを持つカリフでもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。