ツタンカーメンとはどんな人物?その死因と呪いについて世界遺産マニアが解説

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ツタンカーメンといえば「黄金のマスク」で有名で、少年王としてエジプトで最も知られるファラオでしょう。しかし、彼の墓やミイラ、副葬品などは歴史的発見であり、エジプトでも最も重要な観光資源であるものの、彼の人生はあまり知られていません。ツタンカーメンとはどういった人物だったのでしょうか?

今回はツタンカーメンがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、について具体的に理解できること間違いなし!

目次

「ツタンカーメン」とはどんな意味?その名前の秘密

ツタンカーメンの像
画像素材:shutterstock

まず、我々は彼のことを「ツタンカーメン」と呼びますが、これはあくまでも日本語的であり、厳密に表現するのなら「トゥトアンクアメン」。第18王朝(紀元前1570年頃〜紀元前1293年頃)のファラオであり、先代のアメンホテプ4世(在位:紀元前1353年?〜紀元前1336年?)が亡くなっため、8〜9歳頃に即位しました。

第18王朝は初期から、テーベ(現在のルクソール)の守護神であり、豊穣神であるアメン神の信仰が強く、国家神であったため、神官は絶大な力を持っていました。父であるアメンホテプ4世は、その宗教的権力を王権と一つにするために唯一神「アテン」を信仰し、アクエンアテンと改名。その息子である彼も当初はアテンを含めた「トゥトアンク“アテン”」と名付られたのですが、父の死後は部下たちによって再びアメン神の信仰に戻されたため、「トゥトアンク“アメン”」にされたのです。

なぜこんなに有名なの?実は歴史的に重要な人物ではない

アクエンアテンの彫像
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それでは、彼の人生を見てみましょう。と言っても彼の治世は、紀元前1335年頃〜紀元前1327年頃という短い間でしかありません。実はアクエンアテンの時代の記録は碑文などからは削られていて、彼がどのようにして即位にいたったかは不明で、アクエンアテンの後にもツタンカーメンの兄とも言われる「スメンクカーラー(在位: 前1338年頃〜紀元前1336年頃)」が即位したとされますが、このあたりはまだはっきりとはしていません。

それでは、彼がファラオとして行ったことはなにか?それは彼の父であるアクエンアテンを、アメン信仰の中心地であるテーベの王家の谷に埋葬したことです。これは歴代のファラオと同じように埋葬することで、アテン信仰を否定し、彼はアメン信仰の再興を意図したという点で、ファラオの立場をはっきりとさせることでした。

ツタンカーメンの黄金のマスク
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しかし、それ以外は目立った行動はなく、即位から10年も経たずに彼は亡くなってしまいます。そして、その短さゆえに彼の名前は後世に築かれた王名表にも刻まれることがなかったために、近代になってもその存在はほぼ知られていませんでした。

彼が古代エジプトで最も有名な人物になったのは、1925年にイギリスの考古学者ハワード・カーター(1874〜1939年)が彼の墓を王家の谷から発見したことから。実は記録がほぼ抹消されていたということ、彼の墓は見つけづらい位置にあったことが幸いして、2度の盗掘を受けるもほぼ被害はなく、2000年近くも埋葬当時の姿をほぼ残していたたため、黄金のマスクを含めて5000点以上の遺物が発見。それもあり、歴史的発見は世界中でニュースとなり、20世紀になってエジプトで最も有名な人物になったのです。

ツタンカーメンの死因は?何歳で亡くなった?

ツタンカーメンのミイラ
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ツタンカーメンはミイラが残されていることから、科学的なアプローチで死因を特定しようと、現在まで調査されていますが、それでもさまざまな説があります。そもそも彼はなぜ亡くなったのか、いつ亡くなったのかも文献からは記録がなく、あくまでも推測でしかありません。

一般的に暗殺説が有名ですが、これはミイラ造りの際に、頭蓋骨に穴を開けたことから、そう予測されただけと考えられるのが現在の認識です。ただミイラからは死因をある程度予想することはでき、マラリアに感染していて、傷を負っていることは確実に分かっており、これは戦車の事故、もしくはカバの襲撃などが原因と考えられています。しかし、この傷も即死に至るほどではなかったと考えられ、直接の死因は今でも謎に包まれたまま。

子孫はいるの?

ツタンカーメンの黄金の椅子
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ツタンカーメンは、異母姉とされている、ネフェルティティ(紀元前1370年〜紀元前1330年)の娘・アンケセナーメン(紀元前1348年〜紀元前1322年)と結婚したことで有名。ツタンカーメンの墓にあった副葬品には二人の仲睦まじい姿が描かれているため、夫婦仲は良かったと推測されています。

彼の墓からは2体の胎児のミイラが発見されていて、DNA鑑定によると彼らの娘であることは間違いはなく、資料にはないものの、どうやら成人できずに亡くなってしまった様子。そして、ツタンカーメンも早くに亡くなってしまったため、第17王朝から続く第18王朝の家系は彼の代で途絶えてしまいました。

「ツタンカーメンの呪い」とは?

ハワード・カーターの切手
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ハワード・カーターが1922年にツタンカーメンの墓を発掘すると、彼のスポンサーでもあった第5代カーナーヴォン伯爵ジョージ/ハーバード(1866〜1923年)に急死し、さらには関係者が数名死亡したことがきっかけで、1920年代に「ファラオの呪い」とか「ツタンカーメンの呪い」として、メディアで取り上げられました。

しかし、これはあくまでも根も葉もない噂であり、カーナーヴォン伯爵の死因は肺炎であり、そもそも発掘者であるハワード・カーターは64年という天寿を全うしました。これは当時の発掘を独占報道したアメリカのタイムズ社に反発して、他社が集まってわざとこういう報道をしたというのが真相。

ツタンカーメンにまつわる世界遺産はこちら!

ツタンカーメンの墓(王家の谷)/エジプト

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王家の谷は、ナイル川西岸の岩山に築かれた岩窟墓群。新王国時代のファラオの墓が多く集まり、24の王墓を含めた64の墓が点在。ツタンカーメンの王墓だけは、ラムセス6世の墓のための作業小屋の下にあったために、1922年に考古学者ハワード・カーターに発見されるまでほぼ未盗掘でした。副葬品はほぼすべてカイロにある考古学博物館に運ばれたため、現在は石棺のみが残っています。

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ルクソール神殿/エジプト

ツタンカーメンと妻のアンケセナーメンの座像
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かつてはテーベと呼ばれた、ルクソール市内の中心に位置する神殿で、ここは北へ約3kmの位置にあるカルナック神殿の副神殿として、彼の祖父であるアメンホテプ3世(紀元前1390年〜紀元前1352年頃)によって建造されたもの。ツタンカーメンの時代には増築が行われていて、列柱廊が完成。彼と妻のアンケセナーメンの座像も築かれていて、これは現存しています。

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世界遺産マニアの結論と感想

ツタンカーメンが生きていた時代はエジプトでも政治的な混乱期であり、彼の人生は親世代の宗教改革によって翻弄され、死後は神官であったアイによって王朝が無理やり継続されるという、悲しい人生であったのは事実でしょう。そして、彼が築いた建築物も後のファラオとなったホルエムヘブによって名前が書き換えられたこともあり、さらに知名度が下がってしまったという背景もあります。

それもあり、ほぼ忘れられたファラオであったにもかかわらず、逆にそのおかげで盗掘もそれほど遭うこともなかった…というのもまた切ない話ですね。しかし、ほとんどのファラオの副葬品は失われたにもかかわらず、彼の副葬品が発掘されたおかげで、誰よりも具体的に彼の人生に触れることができるのですから、彼は古代エジプト史において大いに「貢献」した人物であるのは間違いないでしょう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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