シャルル8世とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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シャルル8世(1470〜1498年)は「温厚王」と呼ばれるも野心が高く、イタリア戦争(1494〜1559年)を開始した人物であるということでも知られます。シャルル8世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はシャルル8世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャルル8世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

シャルル8世とはどんな人物?

画像素材:shutterstock

1470年にフランスの中央部にあるアンボワーズ城で誕生。父ルイ11世は「慎重王」として知られ、中央集権化を進めた王でしたが、1483年にルイ11世の死により13歳で即位するも、母アンヌ・ド・ボージューが摂政となりました。1491年にブルターニュ公国のアンヌ・ド・ブルターニュと結婚することでフランス王国とブルターニュ公国を統合し、現在のフランスの形がほぼ形成されました。

1494年にイタリアのナポリ王国の王位継承権を主張し、1495年にナポリを占領するも、神聖同盟(スペイン、神聖ローマ帝国、ヴェネツィアなど)の反撃を受け撤退します。彼はフランスの絶対王政の基盤を築くも、1498年にアンボワーズ城にて27歳で事故死。

シャルル8世にまつわる世界遺産はこちら!

アンボワーズ城/フランス

アンボワーズ城
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フランス中部アンドル=エ=ロワール県にあるアンボワーズ城。ここは11世紀に城が築かれると何度も拡張を続け、やがてシャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世など、ヴァロワ朝時代(1328〜1589年)の歴代の王が居城としました。

城はルネサンス様式が取り入れられ、庭園は「フランス式庭園」の始まりにもなったほどに革新的な様式でもありました。ここはシャルル8世の生まれた城であり、死去した場所でもあります。

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世界遺産マニアの結論と感想

シャルル8世は中央集権化を進める一方、「無謀な王」 とも言われ、野心的な傾向にあり、彼の死後、フランス王のルイ12世も同じく、イタリアへと遠征を行っていることから、ある意味、火種を作った人物でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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