マヌエル1世(ポルトガル王、1469〜1521年)は「幸運王」と称され、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を支援し、ポルトガルの海洋帝国の拡大を実現し、黄金時代を築いた人物でもありました。そんなマヌエル1世とはどういった人物だったのでしょうか?
今回はマヌエル1世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マヌエル1世について具体的に理解できること間違いなし!
マヌエル1世(ポルトガル王)とはどんな人物?

マヌエル1世は1469年にポルトガル王ドゥアルテ1世(1391〜1438年)の弟フェルナンド公の息子として生まれました。彼は当初、王位継承の有力候補ではありませんでしたが、従兄で王位に付いたジョアン2世の子供が早世したため、1495年に王位を継承しました。
1497年にヴァスコ・ダ・ガマがインドへの航海に出発し、翌1498年にカリカット(現インド・ケーララ州)に到達。これによりポルトガルは中東を経由しない香辛料貿易の直接的なルートを確立し、大きな富を得ることになります。他にも彼の時代にブラジルも発見し、海洋帝国が拡大され、リスボンが世界貿易の中心地として発展しました。
そして、建築様式においてもそれが影響され、彼の時代にはポルトガル独自の建築様式である「マヌエル様式(後世に名付けられたもの)」が発展。これはゴシック建築に海洋のモチーフやアジア・アジア・アフリカの珍しい動物などの装飾を融合させたものでポルトガル各地で残っています。そして、1521年にリスボンで死去。享年52歳。
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ベレンの塔/ポルトガル



リスボンの中心部から西に位置するベレン地区。正式名称は「サン・ヴィセンテの塔」で、サン・ヴィセンテはリスボンの守護聖人を示しています。5階建ての塔はテージョ川河口に1515〜1521年に築かれました。
これはインド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマ(1469年頃〜1524年)の偉業を称えるために建造したもの。
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ジェロニモス修道院/ポルトガル



リスボンの中心部から西に位置するベレン地区。修道院はリスボン港の入口にあり、石灰岩で築かれているため、外観は白亜の美しい建築物となっています。
ここは海外航路の探検を積極的に支援したマヌエル1世が、大航海時代の先駆け的存在であったエンリケ航海王子(1394〜1460年)、そしてヴァスコ・ダ・ガマ(1469年頃〜1524年)の業績を称えるため、危険な航海に立ち向かう船乗りたちの精神的な支えになるように建造したとされるもの。
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トマールのキリスト教修道院/ポルトガル



ポルトガルの中西部に位置するサンタレン県のトマールは、1119年にエルサレムで誕生したテンプル騎士団によって1160年にグランドマスター(騎士団長)が設立した修道院があります。
1492年に国王であり騎士団長となったマヌエル1世(1495〜1521によって建設が命じられた「サンタ・バルバラ回廊」は、マヌエル様式(後期ゴシック建築であり、大航海時代の自然感などをとり入れた建築様式)の傑作とされ、テラスにある3つの大窓は豪華な彫刻が施されました。
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シントラ宮殿/ポルトガル



シントラはイベリア半島の最西端に位置するエリアで、ここは丘陵地帯に森林に覆われた花崗岩の小高い山々が続く地。宮殿は町の中心部にあり、少なくとも15世紀には王室の離宮が建造された場所でもあります。
特にマヌエル1世(1469〜1521年)時代に加えられたものの一つである「アラ・マヌエリーナ(マヌエル翼)」は王族の紋章が天井に飾られているのが特徴。
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世界遺産マニアの結論と感想
マヌエル1世の時代は、インド航路の開拓やアジア・南米への進出によってポルトガルは16世紀初頭において世界でも最大規模の海洋国家となり、この時代はポルトガルの歴史において最も輝かしい時期の一つでした。そして、芸術家や科学者が多く集まったことにより、建築も大いに繁栄。その時代の遺産はリスボンだけでなく、ポルトガル全体に残されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。