ポルトガルの世界遺産「トマールのキリスト教修道院」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (6)
登録年1983年

ポルトガル中西部にあるトマールには、ポルトガルでも最大規模の修道院があり、保存状態が非常に良いもの。ここはかつてテンプル騎士団から改編したキリスト騎士団の本拠地であり、彼らの莫大な資金によって、15世紀以降は各時代の美しい装飾が加えられ、特にマヌエル様式の傑作とされる「サンタ・バルバラ回廊」の美しい大窓があることでも有名です。

ここではトマールのキリスト教修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トマールのキリスト教修道院について詳しくなること間違いなし!

目次

トマールのキリスト教修道院とは?

トマールのキリスト教修道院
画像素材:shutterstock

ポルトガルの中西部に位置するサンタレン県のトマールは、1119年にエルサレムで誕生したテンプル騎士団によって1160年にグランドマスター(騎士団長)が設立した修道院があります。その頃に修道院の最古の建造物である、ムデハル様式(イスラム建築とキリスト教建築の融合した様式)の「テンプル騎士団教会」が建造。エルサレムにあり、キリスト教の墓とされる場所に建造された聖墳墓教会をモデルとした「円堂(ロトンダ)」はロマネスク様式で設計されたもの。

巨大な資金を持つテンプル騎士団はヨーロッパ内での活動が禁止されましたが、ポルトガルで活動していた騎士団は改編することでその活動が許され、1357年からはポルトガル独自の「キリスト騎士団」となり、この地を本拠地としました。その後、エンリケ航海王子(1394〜1460年)が騎士団長に就任した15世紀が最盛期で、ポルトガルの王や王子たちは騎士団長として就任したため、王室によって美しい装飾が加えられていきます。特にゴシック様式で建造された「沐浴の回廊」もこの時期に築かれたもの。

トマールのキリスト教修道院
画像素材:shutterstock

1492年に国王であり騎士団長となったマヌエル1世(1495〜1521年)によって建設が命じられた「サンタ・バルバラ回廊」は、マヌエル様式(後期ゴシック建築であり、大航海時代の自然感などをとり入れた建築様式)の傑作とされ、テラスにある3つの大窓は豪華な彫刻が施されました。彼の息子であるジョアン3世(1502〜1557年)によって「ジョアン3世の回廊」という騎士団の権威を示す豪華なマヌエル様式の装飾が見られる回廊も増築されています。

トマールのキリスト教修道院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

トマールのキリスト教修道院
画像素材:shutterstock

トマールのキリスト教修道院が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
テンプル騎士団の初期の教会でもあり、ルネサンス期の建造物とともに、人類の創造的資質を示す傑作であるという点。

登録基準(vi)
トマールのキリスト教会修道院は、もともとはレコンキスタのシンボルとして考えられていましたが、マヌエル1世の時代からはポルトガルがイベリア半島以外の文明に開放していったということを示すシンボルになったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

トマールのキリスト教会修道院は、テンプル騎士団からキリスト騎士団にいたるまで、騎士団長となった王がスポンサーとなり、豪華な建造物が加えられていくと、ここはレコンキスタのシンボルからイベリア半島以外へと文明が開放されていったということを示すようになったという点で評価されています。

ちなみに「マヌエル様式」のマヌエル1世がルーツとなっていて、彼は宮廷に芸術家や科学者を多く招いたことからスポンサーとなり、特に独自の装飾を持つ建造物が国内で多く建設されていきました。とはいえ、マヌエル様式は彼自身が名付けたわけではなく、19世紀になってから分類されたもの。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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