ポルトガルの世界遺産「シントラ宮殿」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4),(5)
登録年1995年

シントラ宮殿は「シントラの文化的景観」の構成遺産の一つ。シントラ地区を代表する宮殿であり、歴代の王家の住まいであったために豪華絢爛な装飾が見られるのが特徴。ところで、シントラ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではシントラ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シントラ宮殿について詳しくなること間違いなし!

目次

シントラ宮殿とは?

画像素材:shutterstock

シントラはイベリア半島の最西端に位置するエリアで、ここは丘陵地帯に森林に覆われた花崗岩の小高い山々が続く地。宮殿は町の中心部にあり、少なくとも15世紀には王室の離宮が建造された場所でもあります。もともとはムーア人(イスラム教徒)が丘の上に建造した城があり、その麓にあった館が存在していて、後にポルトガル国王によって宮殿となるものの、当時の建造物は礼拝堂以外はほぼ残っていません。

宮殿は16世紀初頭までにムデハル(イスラム風)様式やゴシック様式、ポルトガル独自のマヌエル様式などで増築されていきました。特にアズレージョと呼ばれる彩色タイルが使用され、ここは大航海時代に築いた富が注ぎ込まれていて、当時のポルトガルの繁栄が見られます。特にマヌエル1世(1469〜1521年)時代に加えられたものの一つである「アラ・マヌエリーナ(マヌエル翼)」は王族の紋章が天井に飾られているのが特徴。

シントラ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

シントラ宮殿が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
19世紀のシントラはヨーロッパのロマン主義建築の中心地となり、ゴシック、ルネサンス、イスラム風など、さまざまな要素が加えられ、地元の建築様式や東洋の建築様式などが組み合わさったものであったという点。

登録基準(iv)
シントラに残る宮殿や庭園は、さまざまな文化が組み合わさリ、異国情緒が残っていて風景に溶け込むように作られているということ。

登録基準(v)
シントラに残る宮殿や庭園には、メキシコやオーストラリアの植物などが栽培されていて、周囲の景観に溶け込むような設計は、ヨーロッパ全体の景観デザインに影響を与えたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

シントラ宮殿は、歴代のポルトガル王家の宮殿が築いただけに中世から近代まで豪華な装飾が加えられ、シントラの景観に溶け込むように建造されているという点で評価されています。

ちなみに、宮殿を愛した王族の一人、カルロス1世の王妃アメリア(1865〜1951年)は、よくシントラの風景をテーマにした絵画を描いていたそう。そして、息子であるマヌエル2世が結婚することなく、退位したため、彼女は結果的にポルトガル最期の王妃となってしまいました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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