アンリ4世とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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アンリ4世(1553〜1610年)は、フランス・ブルボン朝の初代国王であり、宗教対立の激しいユグノー戦争時のフランスを統一し、国家を再建させたという功績から「良王アンリ」と呼ばれます。アンリ4世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はアンリ4世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アンリ4世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

アンリ4世とはどんな人物?

生誕と改宗

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1553年にイベリア半島北西部のナバラ王国で誕生します。当時のフランスは、カトリックとプロテスタント(カルヴァン派)が何十年にも渡って争い続けていた時代で、彼も母がユグノー(プロテスタント)であったことから幼少期から信仰を受け、ユグノーの指導者の一人として成長しました。しかし、対立は激化し、「ユグノー戦争(1562〜1598年)」が勃発します。

1572年にカトリック勢力とプロテスタント勢力の和解を目的に、アンリはカトリックの王族マルグリット・ド・ヴァロワ(フランス王シャルル9世の妹)と結婚。しかし、結婚式直後の8月24日、「サン・バルテルミの虐殺」が発生し、数千人のユグノーがパリで虐殺されてしまいます。アンリは改宗を強要され、一時カトリックに改宗するも、後に脱出しユグノーの指導者に復帰。

ブルボン朝の誕生とナントの勅令

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1589年に当時のフランス王アンリ3世が暗殺され、ヴァロワ朝が断絶。アンリ4世が王位を継承しました。しかし、フランス国内のカトリック勢力はプロテスタントの王を認めず、内戦が続いたため、1593年にカトリックに改宗。これによりカトリック勢力の支持を得て、1594年に正式にパリで即位。ここからブルボン朝が開始します。

1598年にナントの勅令を発布し、ユグノーに一定の宗教的自由を認めます。これにより、36年間続いたユグノー戦争を終結させることに成功。アンリ4世は、フランスの戦乱による荒廃した経済を立て直すため、農業の復興や財政改革などを行い、復興に務めるも1610年にパリの街中でカトリックの狂信者によって馬車の中で刺殺されてしまいます。享年56歳。

アンリ4世にまつわる世界遺産はこちら!

フォンテーヌブローの宮殿と庭園/フランス

フォンテーヌブローの宮殿と庭園
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パリから南西に約70km。フォンテーヌブローの広大な森には、12世紀からこの地に狩猟用の小屋があり、歴代の王のお気に入りの場所でもありました。

庭園も何度も増築されていきましたが、アンリ4世の時代に宮殿の東側に1200mもの長さの運河「グラン・カナル」を設置。宮殿が拡大され、装飾が増えていくことによって、フランスの芸術が発展していく場となっていったのです。

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シャルトル大聖堂/フランス

旧塔と新塔/シャルトル大聖堂
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シャルトルはフランスの北西部にある都市で、ウール=エ=ロワール県の県庁所在地。ここは古来より聖地として崇拝されていて、既に4世紀には教会が建造されていたとされています。11世紀に最初に大聖堂が建てられましたが、火災に遭い、12世紀に再建され、現在のゴシック様式の大聖堂が築かれました。

東部のランスの大聖堂こそがフランス王の戴冠式が行われる場所ではありますが、ユグノー戦争の影響もあり、16世紀にアンリ4世だけがシャルトルで戴冠しています。

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世界遺産マニアの結論と感想

アンリ4世は、ナントの勅令で宗教戦争を見事に終結させ、経済・農業の振興によってフランスを安定させたことから今でも非常に人気の高い王様です。そして、彼の治世が安定したからこそ、絶対王政の基礎を築き、後のルイ13世やルイ14世時代にも大きく影響を与えることになりました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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