ドイツの世界遺産「トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂(トリーア大聖堂)、聖母聖堂」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4), (6)
登録年1986年

ドイツ西部にある都市トリーアは、紀元前1世紀ころに設立されたローマの植民都市がルーツであり、やがて「第2のローマ」とされるほどに交易の中心地として繁栄しました。町には「黒い門」という意味のポルタ・ニグラやローマ皇帝の宮殿跡であったアウラ・パラティナなどが残り、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂はローマ時代の聖堂を改修したもの。

ここではトリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トリーアの遺跡や聖堂について詳しくなること間違いなし!

目次

トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂(トリーア大聖堂)、聖母聖堂とは?

モーゼル川の橋/トリーアのローマ遺跡群
画像素材:shutterstock

ルクセンブルクとの国境も近いラインラント=プファルツ州にあるトリーアは、モーゼル川の上流に位置し、かつてはローマの植民都市「アウグスタ・トレウェロールム」と呼ばれていました。ここは紀元前1世紀に設立され、6万人の人口を抱えるアルプス以北でも最大のローマ帝国の都市へと成長。しかし、4世紀にゲルマン人によってローマは撤退するももの、中世は大司教座都市としても繁栄。

1〜2世紀に建造された「モーゼル川の橋」や「円形劇場」、「バルバラ浴場」、「イゲルの円柱」など、ローマ時代の遺構は現在も残されていて、これらは商業都市としての繁栄を示すもの。コンスタンティヌス1世(270年頃〜337年)は帝国を再興させた皇帝で、彼はここを拠点とした時期もあり、現在でも「皇帝浴場」や「アウラ・パラティナ」、「聖ペテロ大聖堂(トリーア大聖堂)」などが残り、これらの建造物は彼が築いたコンスタンティノープル(現イスタンブール)にも引き継がれていきました。一部の建築物はローマ時代に建造されたものを中世に改築され、再利用されているというのが特徴。

登録されている主な構成遺産

ポルタ・ニグラ

ポルタ・ニグラ/トリーアのローマ遺跡群
画像素材:shutterstock

旧市街の北部に位置する2世紀末に建造された城門。ラテン語で「黒い門」という意味で、黒い石で建造されています。中世になると一部が破壊され、「聖シメオン教会」として身廊や尖塔などを加えられました。しかし、1805年にナポレオンによってローマ時代以外の部分は取り除かれ、現在はローマ時代の遺構が残されています。

アウラ・パラティナ

アウラ・パラティナ/トリーアのローマ遺跡群
画像素材:shutterstock

もともとは4世紀にコンスタンティヌス1世によって建造された宮殿でありましたが、後にトリーア司教の宮殿として使用されるようになったもの。現存する建造物は、もともと玉座の間であったとされ、当時の遺構も一部残っています。何度も破壊と再建を繰り返し、現在は建造当時の姿を残しつつもキリスト教会として利用されています。

聖ペテロ大聖堂(トリーア大聖堂)

聖ペテロ大聖堂
画像素材:shutterstock

ドイツ最古の大聖堂であり、4世紀に建造され、コンスタンティヌス帝がここで皇帝として初めて改宗したということで、歴史的にも重要な司教座聖堂。ここは破壊と再生を繰り返し、現在の建造物は10世紀以降のロマネスク様式のもの。そして、ゴシック様式のヴォールトなど、さまざまな時代の建築様式が加えられ、現在の姿となりました。

聖母聖堂

聖母聖堂
画像素材:shutterstock

トリーア大聖堂の隣に位置する聖堂は、13世紀に建造されたゴシック様式の聖堂。ここはフランス国外で初めて建造されたゴシック様式の聖堂でもあります。

トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂(トリーア大聖堂)、聖母聖堂はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ポルタ・ニグラ/トリーアのローマ遺跡群
画像素材:shutterstock

トリーアの遺跡や聖堂が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ポルタ・ニグラは、2つの半円形の4階建ての塔に隣接する巨大な城門であり、これは2世紀のローマ建築であるものの、11世紀に教会として使用されたことから、当時の遺構や回廊などが加えられていて、その価値を引き立ているという点。

登録基準(iii)
トリーアには、モーゼル川の橋、城壁、浴場、円形劇場だけでなく、陶芸やガラス細工、鋳造などの工房も含めて保存状態が良く、ローマ時代に繁栄した文明の証拠が多く残るということ。

登録基準(iv)
トリーアに残るアウラ・パラティナや皇帝の浴場、皇帝の宮殿の遺構は、現在のイスタンブールとともに帝国分割後のローマの中心都市だったという例が見られるという点。

登録基準(vi)
トリーアは、コンスタンティヌス1世が312年にキリスト教に改宗したという歴史的な出来事と直接関連しているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

トリーアは、かつて第2のローマとされるほどに繁栄し、帝国分割後の都市の跡が見られ、市内に多く遺跡が残り、キリスト教に改宗した初のローマ皇帝コンスタンティヌス1世がここを拠点としていたことから、それに直接関連する建造物も残るという点で評価されています。

ちなみに、トリーアはドイツワインの発祥の地であり、古代ローマ時代に持ち込まれ、この地域で作られる「モーゼルワイン」はリースリング主体のしっかりとした味わいが特徴です。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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