ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)は1769年8月15日にコルシカ島西岸の街・アジャクシオで生まれました。彼の生まれ故郷であるコルシカ島はフランス領であるものの、地中海に浮かぶ美しい島で、独自の文化や歴史を持つ地域です。
今回はをナポレオンの出身地・コルシカ島を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コルシカ島について具体的に理解できること間違いなし!
コルシカ島とは?

コルシカ島はフランスの南東に位置し、イタリアのサルデーニャ島の北に位置する、面積は約8680平方km(日本の広島県と同じ大きさ)。フランス領ではあるものの、歴史的にはイタリア文化の影響も色濃く受けており、現在でも一部の地域ではフランス語とは異なるコルシカ語が話されているほどに独自の文化を持っていました。
しかし、ナポレオンが生まれる前年の1768年にコルシカ島はフランスに帰属し、正式にフランス領となります。ナポレオンは島でも最大の街・アジャクシオに生まれ、彼の家族はもともと北イタリアのトスカーナ地方にルーツを持っていましたが、当時はフランス側に付いていたため、貴族として認められた家系でした。
ナポレオンとコルシカの独立運動



ボナパルト家はもともとはコルシカの独立運動を支持していて、彼の父カルロは当時の指導者パスカル・パオリの副官でありました。カルロは当初はパスカルに共感していましたが、やがてフランス側に寝返り、コルシカ独立運動とは距離を置くようになります。ナポレオンは10歳ですでに本土で学んでいましたが、23歳には故郷へと戻り、国民衛兵隊の中佐として働くようになりました。
それもあり、彼の家族はフランスを支持していたため、コルシカ島で敵対勢力の攻撃を受け、最終的には島を追放されてしまいます。その後、ナポレオンはフランス軍で出世を続け、最終的にはコルシカではなくフランス全体を支配する側になるから不思議ですね。
島には世界遺産はある?



ナポレオンが生まれた街であるアジャクシオには、彼の生家があり、現在は博物館になっています。そして、ナポレオンの記念碑が立つナポレオン広場があることでも有名ですが、これらは世界遺産ではありません。
アジャクシオから北に位置する「ポルト湾:ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区」は島でも唯一の世界遺産。ポルト湾は標高約1200mの赤い花崗岩の断崖が続き、周囲は固有種である常緑灌木マギーで囲まれているというのが特徴です。
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世界遺産マニアの結論と感想
ナポレオンの出身地であるコルシカ島。彼自身はフランス支配が始まった直後に生まれたものの、フランス領でありながら、イタリア文化の影響も強いエリアでもあります。そして、今でもナポレオンの生家やナポレオン広場など、彼ゆかりの地が残っているのも特徴。一方、世界遺産として「ポルト湾」があり、コルシカ島の美しい自然が見られる、シンボル的存在でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。