ポーランドの世界遺産「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (4), (6)
登録年2001年

ポーランド南西部にあるシレジア地方のヤヴォルとシフィドニツァの教会は、17世紀に建造されたヨーロッパ最大の木造教会とされています。これらはルター派(ルーテル教会)の教会に属していて、異なる宗派の教会を建造することを許した、支配者であったカトリック教徒たちの宗教的寛容を示すもの。

ここではヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、平和教会について詳しくなること間違いなし!

目次

ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群とは?

ヤヴォルの平和教会
画像素材:shutterstock

シレジアは、現在はポーランド南西部にあるエリアで、古来からさまざまな民族によって支配されてきた土地。17世紀の三十年戦争(ドイツを中心に発生した宗教戦争)の結果、ローマ・カトリックを信奉するハプスブルク家が支配するようになりました。ここに住んでいたのはプロテスタントのルター派(ルーテル教会)の住民が多く、彼らは祈る場所がなくなってしまったのです。

その後、ルター派の住民の多いスウェーデンの介入もあり「木と粘土で造る」という厳しい条件で新たに教会を造ることが許可されました。これらは平和教会と呼ばれ、ヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフに築かれたもの。これらはハプスブルク家がプロテスタント系の住民への宗教的寛容を示す必要があったことから建造された教会でもあり、それを記念する建造物でもあります。

シフィドニツァの平和教会
画像素材:shutterstock

グウォグフの教会は残っていませんが、ヤヴォルとシフィドニツァの教会は現存。これらは伝統的な技法で質素な建造となっているものの、ゴシック様式でありますが、カトリック的な内装が見られるもの。耐久性もあり、木組みの木造建築として最高峰に位置する教会でもあります。

シフィドニツァの平和教会は1654〜1655年に築かれ、ヤヴォルの平和教会は1656〜1657年にかけて建造。これらはギリシャ十字の平面を持ち、三廊式のバシリカとなっています。この2つは似たような構造ですが、東端にある多角形のアプシス構造の役割が異なり、シフィドニツァは聖具室になっていて、ヤヴォルは至聖所として利用。

ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ヤヴォルの平和教会
画像素材:shutterstock

平和教会が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
平和教会は三十年戦争後に、シレジアのプロテスタントに対し、支配者であったカトリックのハプスブルク家が例外的な寛容を示した記念的建造物であったという点。

登録基準(iv)
皇帝によって厳しい条件で建造された平和教会は、かつてないほどの規模と、複雑で先鋭的な技法を使用して建造されたものであるということ。

登録基準(vi)
平和教会は、17世紀のヨーロッパにおける複雑な宗教事情の中で、時代を先取りした政治的行為を示すものであったという点。

世界遺産マニアの結論と感想

17世紀の宗教戦争後、当時のシレジアはプロテスタント系住民が多いなか、それを考慮したはカトリックのハプスブルク家は、プロテスタントの教会を造る許可を与えたという、この時代でははなかなか見られない宗教的寛容が見られるという点で評価。とはいえ、木と粘土だけで建造されるように制約を与えられた平和教会は、結果的にヨーロッパ最大級の優れた木造建築になったというのもポイント。

ちなみに、細かい話なのですが、神父と牧師の違いって知っていますか?実は、神父はカトリック教会の司祭であって、牧師はプロテスタント教会における信者を指導する仕事に付く人。両方とも聖職者ではあるのですが、日本語的には宗派で分けて使用するのが一般的です。

結婚式で登場する「神父」や「牧師」はどちらでもなく、バイトの可能性があるので、そこは気にしないほうがいいかも!?

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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