ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)は多くの戦場を駆け巡り、彼だけでなく、彼を乗せた「愛馬」たちも有名です。彼は生涯で多くの馬を所有していたと言われていますが、その中でも特に有名な馬は「マレンゴ」と名付けらたアラブ種の牡馬。
今回は愛馬・マレンゴを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ナポレオンの愛馬について具体的に理解できること間違いなし!
ナポレオンの愛馬・マレンゴとは?

ナポレオンには多くの愛馬がいましたが、最も有名なのは「マレンゴ(1793〜1831年)」。1799年のエジプト遠征の際に獲得したとされ、その後「マレンゴの戦い(1800年)」 で活躍し、その名がついたとされています。特に彼は馬身は145cmと小柄だったものの、毛並みは芦毛で非常に目立つ馬で、ナポレオンは彼を好みました。純血アラブ種の牡馬で、128kmの距離を5時間で走るという恐ろしい体力を持つ馬でもあったのです。
その後、ナポレオンの戦争、アウステルリッツの戦い(1805年)やヴァグラムの戦い(1809年) などの主要な戦いにも同行。そして、ナポレオンの最後の戦いでもあるワーテルローの戦い(1815年)でもナポレオンを乗せていたとされます。
そして、伝説へ…



しかし、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗北し、セントヘレナ島に流刑になった後、イギリス軍によってマレンゴは捕獲。ニュー・バーンズで種牡馬となり、38歳で死去するまでイギリスで暮らします。現在はロンドンの国立陸軍博物館に骨格標本が展示。
ナポレオンはフランスの画家・ジャック=ルイ・ダヴィッドに『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』という作品を依頼し、マレンゴとともに描かれました。ナポレオンの絵画は「英雄としての姿」や「皇帝としての威厳」 を象徴する重要な存在となっていきます。その後、絵画や彫刻にも 「白馬に乗るナポレオン」 がよく描かれ、マレンゴも同時に描かれようになりました(実際は「芦毛」ですが)。
しかし、実際には1800年にサン=ベルナール峠を越える際はナポレオンはラバに乗っていたため、あくまでも荒々しい馬を乗りこなすというカットがほしいだけであって、別にマレンゴを描きたかったわけではなかったかもしれませんが…結果的にはマレンゴの知名度を上げるきっかけにはなりましたね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。