ツタンカーメンとクレオパトラは、どちらも古代エジプトを象徴する人物として有名です。では、この2人にはどのような関係があるのでしょうか?似たような時代の人物というイメージを持たれがちな2人ですが、実際には大きな違いがあるのです。
今回はツタンカーメンとクレオパトラの関係を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その関係について具体的に理解できること間違いなし!
ツタンカーメンとクレオパトラとはどんな関係?

ツタンカーメンとクレオパトラは、いずれも「ファラオ(王)」として知られています。しかし、実際にはこの2人の間には直接的な関係はありません。
ツタンカーメンが生きたのは紀元前14世紀ごろ(新王国時代)、一方のクレオパトラは紀元前1世紀に活躍した人物で、2人の時代にはおよそ1300年以上の隔たりがあります。つまり、どちらもエジプトを治めた王ではあるものの、時代背景も文化も大きく異なっています。
ツタンカーメンはどんな人物?



ツタンカーメン(在位:紀元前1335年〜紀元前1327年)は若くて即位したファラオ。彼はアメンホテプ4世(アクエンアテン、在位:紀元前1353年?〜紀元前1336年?)の子とされ、宗教改革後のエジプトを安定させるために、アメン信仰の復活を推進しました。
ツタンカーメン自身の治世は短く、約10年で終わります。しかし、20世紀に彼の墓が「ほぼ無傷」で発見されたことから、世界でも最大の考古学的発見となりました。装飾品や副葬品の豪華さは、彼の時代にファラオがどれだけ重要視されていたかを物語っています。
クレオパトラはどんな人物?



クレオパトラ7世(紀元前69年〜紀元前30年)はプトレマイオス朝最後の女王で、ギリシャ系の王族の家系に生まれました。彼女は知的で多言語を操り、政治的にも高い手腕を発揮した人物。
特に共和制ローマの執政官ユリウス・カエサルや、その部下のアントニウスとの関係を通じて、エジプトの独立を維持しようと奮闘しましたが、最終的にはローマの支配に屈し、自害によってその生涯を終えました。彼女の死をもって、古代エジプトの時代も終焉を迎えます。
世界遺産マニアの結論と感想
ツタンカーメンとクレオパトラは、どちらもエジプトを象徴する歴史的人物ですが、実際には約1000年の時代差があります。
ツタンカーメンには子孫はおらず、クレオパトラはギリシャ系の血筋でエジプトを治めたプトレマイオス朝の女王です。つまり、二人に血縁関係はまったくありませんが、「ファラオとしてエジプトを治めた」という共通点もありますね。よって、時代的には1000年以上も異なるのですが、現代では並べて語られる存在となっているのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。