登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2014年 |
トルコ西部・エーゲ海沿岸の丘の上に位置するペルガモンのアクロポリス遺跡は、紀元前3〜2世紀にアッタロス朝の首都として栄えた都市。巨大な図書館が代表的で、劇場や教育機関を持つ文化都市でもありました。その後、信仰対象などが変わり続けても都市の宗教施設は改築されて利用され続けたという点で評価されています。
ここではペルガモンとその重層的な文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペルガモンについて詳しくなること間違いなし!
ペルガモンとその重層的な文化的景観とは?
ペルガモンはアナトリア半島の西部にある都市ベルガマの郊外に位置します。ここは紀元前3〜2世紀に繁栄したアッタロス朝の首都でした。アレクサンドロス大王に仕えたマケドニアの武将・リュウシコマスによって支配され、その後、その部下であったフィレタイロスが開祖となった王国。
特にペルガモンは、ヘレニズム(古代オリエントとギリシアの文化融合)都市として栄え、丘の上にあるアクロポリスは上市と呼ばれ、宮殿や神殿、斜面を利用した劇場、地中海で2番目に大きな図書館などが建造されました。かつてここに置かれてたゼウスの大祭壇は、ドイツ・ベルリンの「ペルガモン博物館」で保管されていて、100m以上の美しい浮き彫りがあり、現在でも保管されています。その丘の麓が、中市と下市と呼ばれるエリア。
紀元前133年になるとローマ帝国に組み込まれ、アジア属州の首都となりました。その頃は文化都市としても栄え、ペルガモンの上市の西側には、総合医療センターであるアスクレピオンなども建造。アスクレピウスはギリシャの医神で、遺跡には患者が身を清めた聖なる泉の跡も残ります。
やがてローマ帝国の中心がコンスタンティノープル(イスタンブール)へと移っていくと、町は徐々に小規模になっていきました。町の中心は丘の麓に移っていき、ローマ時代には中心部に古代エジプトの神々を祀る聖域(現在は「クズル・アウル」よ呼ばれるもの)が作られ、やがてビザンツ帝国やオスマン帝国時代になると、教会やモスクなどが建造。現在は「ベルガマ」という名前になり、旧市街と周辺には遺構が今でも残っています。
ペルガモンとその重層的な文化的景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ペルガモンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アクロポリスは、斜面を見事に利用したヘレニズムとローマの都市計画の傑作であるということ。
登録基準(ii)
ベルガマの中心部に残る聖域は、かつてはアナトリアの土着の女神キュベレー信仰からローマによってエジプトの神を祀る神殿へと変えられたように、継続的に施設を「重層」して利用し続けるということが、人間の価値観の変化を示しているという点。
登録基準(iii)
ペルガモンに残る遺跡は、アクロポリスを始め、アスクレピオン、周辺の遺構など、それぞれの時代の文明を示すものであるということ。
登録基準(iv)
ペルガモンの「重層的な文化的景観」は、ヘレニズム時代からローマ時代のさまざまな遺跡が組み合わさって形成された歴史的な景観であるという点。
登録基準(vi)
ペルガモンは文化都市であり、彫刻が盛んだったり、もともと土着の女神キュベレーの神殿からローマの神の神殿、キリスト教会、シナゴーグ、モスクと連続で使用されていたり、羊皮紙が名産品であって知名度もあったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
とにかくテーマは「重層的な文化的景観」ということで、どうしてもアクロポリスだけに目が行きがちですが、ここはヘレニズム、ローマ、ビザンツ帝国、オスマン帝国とさまざまな文化が入り混じり、独特の景観が生み出されている…という点で評価。
ちなみにですが、羊皮紙といえばペルガモンのイメージがありますが、これは2世紀にペルガモンの図書館の本がパピルスから羊皮紙に変わっていったことからこのイメージが付いたもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。