登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1993年 |
スロヴァキアの東部に位置すスピシュスキー城は、東方から侵攻してくるタタール人から防衛するために作られた広大な要塞で、13〜14世紀の東欧の集落の典型的な例。そして、2009年には周囲の町・レヴォチャや集落なども追加で登録され、それぞれゴシック様式やバロック様式の建築物が多く残っています。
ここでは、レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、レヴォチャとスピシュスキー城について詳しくなること間違いなし!
レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財とは?
中世のヨーロッパにおいて、軍事施設と都市機能、教会などの宗教的施設が揃った集落はどこでも見られますが、当時の姿を残しているものはほとんどありません。しかし、この地の建造物は、中世後期からルネサンス初期にかけて形成され、スピシュスキー城ではロマネスク様式やゴシック様式で造られたものまでも現存しています。これらはこの地が東欧における政治、宗教、文化の中心であったということを示すもの。
登録されている主な構成資産
スピシュスキー城
かつて東欧でも最大規模を誇った城。12世紀に建造され、何度も改築が行われたため、ロマネスク様式の聖堂にゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式などの建築物が加えられていきました。18世紀に火災が発生した後は、廃墟へ。しかし、1961年に文化財に登録され、保護されるようになると1993年には世界遺産に登録されました。
スピシュスケー・ポドフラジエ
スピシュスキー城の麓にある町。繊維産業などで栄えたものの、16世紀に発生した火災により、ルネサンス様式で再建された建設物が多く残っています。
スピシュスカー・カピトゥラ
聖職者の居住区として建設されたものの、町の規模は拡大していき、現在はスピシュスケー・ポドフラジエを併合する規模に。スピシュ地方の司教座聖堂である聖マルティヌス修道院などもあり、現在も多くの人々が訪れる町。この町の建造物はロマネスク様式をベースに、ゴシック様式やバロック様式などで改築されています。
ジェフラ
玉ねぎ型の屋根を持つ聖霊聖堂が残る小さな村。ロマネスク様式とゴシック様式の聖堂は13世紀に造られたもので、村のシンボル的存在です。
レヴォチャ
スピシュスキー城より西へ約40kmの距離にある町。13〜14世紀にかけて形成された町で、教会や市庁舎などの保存状態が良好です。特に聖ヤコブ教区聖堂は大きな建造物で、マスターポールという名の彫刻家が作った、見事な木造祭壇があることで知られています。そして、町を囲う城壁も中世当時の様子が見られるもの。
レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
レヴォチャとスピシュスキー城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
この地には中世から使用されている軍事・宗教・文化施設が非常によく保存されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
とにかく広大な世界遺産で、城から教会、町並みといったありとあらゆるものが登録されているものですが、このすべてが揃った集合体が現在のヨーロッパでここまで完璧に残っているのはここだけということなのです。
今でこそ中世らしい雰囲気で溢れるスピシュ城ですが、城での生活は快適ではなかったらしく、結局18世紀に所有者は城から町へと移住してしまったのです。そして、火災に遭った後も誰も住むことがなく、廃墟のまま放置されていたので、やはり住みづらかったのか…と残念な気持ちになりますね。実際に中世の城は寒くて衛生面も良くなく、「住みづらい物件」という認識が一般的らしく、ディズニー映画のようなおとぎ話のような暮らしはできなかった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。