中国の世界遺産「頤和園」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3)
登録年1998年

北京の北西に位置する頤和園は、1750年に建造されたものの、1860年の戦争時に破壊され、1886年に西太后が復元させた広大な庭園。敷地内には、杭州の西湖を模した人造湖が広がり、宮殿や寺院、橋など、中国の美しい景観をすべて集めたという庭園の最高傑作でもあります。

ここでは頤和園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、頤和園について詳しくなること間違いなし!

目次

頤和園とは?

頤和園
画像素材:shutterstock

頤和園は、中国の首都・北京から北西へ約15kmの位置にある、総面積約290万kmも誇る広大な庭園。ここは12世紀の元朝時代に小規模の離宮が建造されましたが、当時は宮廷で使用する貯水池として作られたもの。その後、1750年に清朝の第6代皇帝・乾隆帝によって庭園が整備され、「清漪園」と呼ばれるように。ここには中国の名だたる庭園や景観、建築物などを取り入れ、東アジアの庭園建設に大きな影響を与えました。

しかし、1850年に第二次アヘン戦争時に英仏の連合軍によって破壊されてしまいます。その後、1886年に当時政権を握っていた西太后によって莫大な予算を使用し、復元され、頤和園と改称しました。西太后はここに政務室を作り、豪華絢爛な庭園となったものの、清朝が滅んで中華民国になると、ここは公園として開放されました。

登録されている主な構成資産

昆明湖

昆明湖/頤和園
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頤和園の大部分を占める広大な人造湖。ここは杭州の名勝地である西湖を模倣して造られたもの。湖には、雨乞いの儀式を行う竜王廟が築かれた島があり、そこは17ものアーチがある十七孔橋で結ばれています。

万寿山

万寿山/頤和園
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庭園の北側にある高さ60mの人造山。ここは入口にある排雲門から、山腹にある高さ40mの仏香閣、山頂には智慧海と呼ばれる仏教施設が並ぶというもの。特に仏香閣は乾隆帝が母の健康を願って築かれたもので、八角形型の塔が印象的。

蘇州街

蘇州街/頤和園
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万寿山の裏側は「後山」と呼ばれるエリアで、ここは乾隆帝が「買い物ごっこ」を楽しむために、中国東部の運河の街・蘇州の町並みをまるごと再現したもの。店の数はなんと60を超えるといい、特に蘇州は乾隆帝のお気に入りの都市だったとされています。

長廊

長廊/頤和園
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昆明湖の北側に沿って築かれた、屋根付きの回廊は約700m以上の長さを誇るもの。それぞれ中国の名勝地や神話、物語など、さまざまなテーマをモチーフにしたカラフルな装飾が加えられています。

仁寿殿

仁寿殿/頤和園
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昆明湖の北西に設置された西太后と彼女の甥で第11代皇帝の光緒帝の政務所があった場所。敷地内の岩場は、蘇州の風景式の庭園を模して設計されたもの。

清晏舫(せいあんほう)

清晏舫(せいあんほう)/頤和園
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昆明湖の西側に浮かぶ、船を模した豪華な建築物。これは西太后が建造しただけあって、素材はすべて大理石で建造して、宴会などを開くために利用したと伝わっています。落ちぶれていく清朝の復興を夢見た西太后らしい建造物の一つ。

頤和園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

頤和園
画像素材:shutterstock

頤和園が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
頤和園は、自然景観を模した作りで、中国の庭園デザインの中でも優れたものであるということ。

登録基準(ii)
頤和園は、中国の庭園デザインの象徴的な存在で、東アジアの庭園に大きな影響を与えているという点。

登録基準(iii)
頤和園は、中国皇帝によって建造された壮大な庭園であり、当時の世界でも広大な領土を支配した清王朝のシンボル的存在でもあったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

西太后によって復元された頤和園は、中国最後の王朝によって建造された豪華な庭園で、ここは中国の景観を再現した庭園デザインの総決算的存在。その庭園様式は日本を含めた東アジア全体に影響を与えるものであったということで評価されています。

ちなみに、後に西太后と呼ばれる懿貴妃は、第10代の皇帝・同治帝を産んだにもかかわらず、皇后という立場ではなかったのです。しかし、同治帝が即位すると、同治帝の父であった咸豊帝の皇后であった人物が、故宮の東側に住まいがあったことから「東太后」となり、同じ立場として「西太后」となったのです。

しかし、東太后は早い段階でなくなった上に、ライバルをどんどんと排除し、最終的に国のトップになったものの、自身が即位することがなかったので、最後までずっと「西」が付いたままだったというのが事情。東がいないのに西太后…ちょっとややこしいですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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