登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 2018年 |
大浦天主堂は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ。日本最古のキリスト教建築物として有名で、長崎のシンボル的存在でもあります。ところで、大浦天主堂はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは大浦天主堂がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、大浦天主堂について詳しくなること間違いなし!
大浦天主堂とは?
長崎市の丘の上に築かれたカトリックの教会堂。正式名は「日本二十六聖殉教者聖堂」。ここは1597年に豊臣秀吉によって長崎で磔刑された26人のカトリック信者に捧げられた教会で、彼らが殉教した地に向けて建てられたもの。
19世紀後半には日本が開国したということもあり、天主堂はフランスから派遣された宣教師ルイ・テオドル・フューレ(1816〜1900年)によって設計され、国内の布教に務めたプティジャン神父に引き継がれると1864年に完成。ここは日本に現存する最古のキリスト教の建造物でもあります。
1865年に司祭となったプティジャンは、ここで潜伏キリシタンが300年近くに渡って自らの信仰を守ってきたということを伝えられました。これは「信徒発見」として非常に有名となり、当時のローマ教皇ピオ9世にもこのニュースが伝えられたほど。1875年に大幅に改築され、現在のゴシック風の建造物になったのはこの時。1953年には洋風建築としては、初めて国宝となりました。
大浦天主堂はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
大浦天主堂が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
長崎と熊本の潜伏キリシタン関連遺産は、キリスト教が禁止された17〜19世紀までの2世紀に渡って、潜伏キリスタンによって密かに続けられたキリスト教の信仰が続けられ、独自の宗教的伝統の証拠を残すという点。
世界遺産マニアの結論と感想
大浦天主堂は、明治時代に信教の自由が認められた時期に建築されたもので、「信徒発見」の現場でもあったことから、潜伏キリシタンの長くに渡る信仰が証明された場所という点で評価されています。
ちなみに、観光客が多く集まってしまったために、現在の大浦天主堂は観光客用となっていて、信徒たちのミサは隣にある1975年に建造されたカトリック大浦教会で行われています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。