登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (2),(3),(4),(5),(6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2007年 |
大官大寺跡(だいかんだいじあと)は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産の一つ。現在は遺構となっていますが、飛鳥時代に建立された寺院の中でも特に大規模であり、重要な役割を担っていました。ところで、大官大寺跡はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここでは大官大寺跡がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、大官大寺跡について詳しくなること間違なし!
大官大寺跡とは?
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奈良県橿原市と明日香村にまたがっている飛鳥時代の寺院跡。『日本書紀』では、もともとは聖徳太子の願いによって「熊凝精舎」が造営され、かつて額田部(ぬかたべ、現在の大和郡山市)にあり、やがて桜井市に百済川に移設され、百済大宮と百済大寺という日本初の官寺(国家の監督を受ける寺)が建造されました。673年になると「高市」と呼ばれる地名に移動し「高市大寺」と呼ばれたと『日本書紀』に記載があり、677年に「大官大寺」と改称したとされています。
もともとは飛鳥京と藤原京の間にある遺構がその寺跡だと考えられていましたが、発掘調査の結果、ここは文武天皇(683〜707年)時代のものとされていて、7世紀後半には金堂や九重塔があった広大な寺院であったということが分かりました。しかし、710年に藤原京から平城京へと遷都されると、711年に火災があったという記録もあり、大官大寺は716年に平城京へと移動し、名前も「大安寺」と改名。現在は遺構だけが残っています。
大官大寺跡はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
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日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。
登録基準(ii)
文化の交流を示すもの
登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠
登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本
登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本
登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術
世界遺産マニアの結論と感想
現在は礎石などの遺構が残っていて、特別史跡に指定され、特に金堂跡や塔跡など、かつての壮大な伽藍配置を示す遺構が確認できるという点では貴重な場所となっています。
ちなみに奈良市にある大安寺は、平安時代には火災が発生し、当時の豪華な建造物は消失。やがて興福寺の末寺となり、江戸時代には小さな観音堂があるだけの小さな寺院でした。それもあり、現在の建造物はほとんどが近代に建造されたもので、他の法興寺や薬師寺など、藤原京から移動してきた寺院とは異なり、世界遺産には登録されていません。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。