栃木県の世界遺産「日光二荒山神社」とは?神橋を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(4),(6)
登録年1999年

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は「日光の社寺」の構成遺産の一つ。創建は8世紀と古く、東照宮が造営される前から存在していた神社。ところで、日光二荒山神社はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは日光二荒山神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、日光二荒山神社について詳しくなること間違いなし!

目次

日光二荒山神社とは?

男体山
画像素材:shutterstock

創建は8世紀と古く、日光山は勝道上人という下野国(かつての栃木県一帯)の僧がこの地を開山したことが始まりとされています。二荒山とは、由来がさまざまあり、日光という名の由来とされる説もありますが、古来より山岳信仰が盛んな地で、戦国時代まで多くの修験者が集まる地でもありました。

世界遺産としての登録範囲は、本社の周辺だけですが、神社の敷地としては、景勝地として有名な華厳滝やいろは坂、日光連山も含み、伊勢神宮に次ぐ面積を持っています。

日光二荒山神社
画像素材:shutterstock

もともと二荒山神社は東照宮の南東にある本宮神社に存在していましたが、17世紀に東照社が造営されると、現在の本社がある位置に社殿が建造されました。よって、こちらは新宮とも呼ばれます。主祭神は、男体山を示す大己貴命(おおなむちのみこと)、女峯山を示す田心姫命(たごりひめのみこと)、太郎山を示す味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)。

神橋(しんきょう)

神橋/日光二荒山神社
画像素材:shutterstock

日光山の参道の入口にある橋で、ここも日光二荒山神社の境内の一つ。その歴史は古く、室町時代には既に大谷川(だいやがわ)には橋が架けられていたという記録もあります。現在のように石造の橋脚で支えられる橋になったのは、東照宮が道営された時。1902年には台風による洪水で破壊され、現在のものは1904年に再建されたもの。

日光二荒山神社はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

日光二荒山神社
画像素材:shutterstock

日光二荒山神社が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
森の中に調和がとれるように配された日光の社寺は、建築と芸術の面での人類の創造的資質を示す傑作であるという点。

登録基準(iv)
東照宮と輪王寺の権現造りは、江戸時代において最高の建築技術であり、日本の霊廟建築において多大な影響を与えたということ。

登録基準(vi)
山や森に囲まれた日光の社寺は、人間と自然が一帯であるという神道も関連していて、日本の宗教空間の顕著な例であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

日光二荒山神社は、8世紀創建と古くから日光山の山岳信仰と関連している場所で、神道による日本独自の信仰が見られるという点で評価されています。

ちなみに「二荒山(ふたらさん)」は観音菩薩が住むとされる「補陀落山(ふだらくさん)」が訛ったものとされ、弘法大師が二荒を「にこう」と読んだために「日光」になったとされますが、あくまでもこれは伝承。他にもさまざまな説があり、どうも「日光」という名前の由来ははっきりと分かっていません。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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