スペインの世界遺産「ヘネラリーフェ離宮(ヘネラリフェ)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4)
登録年1984年

ヘネラリーフェ離宮(ヘネラリフェ)は「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン」の構成遺産の一つ。ここは王宮であったアルハンブラ宮殿からすると離宮にあたり、水路を活用した美しい中庭を持ちます。ところで、ヘネラリーフェ離宮はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではヘネラリーフェ離宮なぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヘネラリーフェ離宮について詳しくなること間違いなし!

目次

ヘネラリーフェ離宮(ヘネラリフェ)とは?

ヘネラリーフェ離宮(ヘネラリフェ
画像素材:shutterstock

グラナダはスペイン南部のアンダルシア州グラナダ県の県都で、かつてはナスル朝(1232〜1492年)の首都であった場所です。王宮であったアルハンブラ宮殿の北にある離宮が、ヘラリーフェ離宮。ここは14世紀にムハンマド3世(1257〜1314年)によって王族の避暑地として建設されました。

「アセキアの中庭」は近隣のネバダ山脈の雪解け水と高低差を利用し、アセキア(水路)を作り出したもの。美しい花々と噴水を織り交ぜた中庭は、アンダルシアのイスラム建築の傑作でもあります。

ヘネラリーフェ離宮(ヘネラリフェ)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ヘネラリーフェ離宮(ヘネラリフェ
画像素材:shutterstock

ヘネラリーフェ離宮が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
イベリア半島のイスラムの技術の総決算であるアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ離宮は、現代であっても美的価値が高いという点。

登録基準(iii)
グラナダの建築物は、東西の芸術が混ざり合って形成されたという証拠であり、ここで生まれた文化や科学知識はヨーロッパに影響を与えてきたということ。

登録基準(iv)
アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ離宮は、中世のイスラム世界の宮殿をほぼそのまま残し、アルバイシンではイベリア半島におけるイスラム教徒が住んだ街の様子がほとんど変わらずに保存されているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ヘネラリーフェ離宮は、中世のイスラム時代の宮殿の構造をそのまま残されていて、東西の芸術様式が融合しているという点で評価されています。

ちなみに、ムハンマド3世は軍事的な政策を進め、周辺国から警戒されたため、国内で反発を多く受けたことから退位させられてしまいました。それもあり、彼は「アル=マフルー(退位させられた者)」と呼ばれてしまうのですが、その後も退位した王族が出たものの、彼だけこの名前がつけられたので、ちょっとかわいそう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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