登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5) |
登録年 | 2021年 |
北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道・青森県・岩手県・秋田県の1道3県に点在する17の縄文遺跡が世界文化遺産に登録されています。ところで、北海道・北東北の縄文遺跡群はなぜ世界遺産に登録されたのでしょうか?他にも縄文遺跡があるのになぜ?意外と知ってそうで知らない!
ここでは、今回は北海道・北東北の縄文遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、北海道・北東北の縄文遺跡群について詳しくなること間違いなし!
北海道・北東北の縄文遺跡群とは?なぜ評価されたのかを簡単に解説!
北海道南部から東北北部にかけて、山岳地帯、丘陵地帯、平野、低地、湖沼、川沿いなど、さまざまな地形に築かれた17の縄文遺跡で構成された世界遺産。ここからは紀元前約1万3000年から発展してきた縄文文化が分かり、彼らの信仰や儀式の足跡を残すもの。
遺跡は自然と適応しながら、狩猟採集社会の出現から発展、成熟までを示すもので、ここからは縄文土器や土偶が発掘され、ストーンサークルなどの儀式の場も見られます。そして、植物栽培の跡も見られ、農業社会にいたる前までの社会が分かるというのも特徴。
北海道・北東北の縄文遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
北海道・北東北の縄文遺跡群が評価されたのは?以下の点。
登録基準(iii)
北海道・北東北の縄文遺跡群では、土器や土偶などの遺物、墳墓、土塁、ストーンサークルなどが発掘され、これらは世界的に珍しい定住型狩猟社会の文化を示すものであるということ。
登録基準(v)
北海道・北東北の縄文遺跡群は定住地の出現から成熟期までの土地利用が見られ、縄文時代の人々は、食料が採れる川の近くや干潟、森など、農耕社会のように定住地を大きく変えることなく、自然と適応しながら狩猟採集生活を維持してきたということを示しているという点。
の2つ。つまり、
「縄文時代は世界でも珍しい定住型狩猟社会で、これらの遺跡からは食料が採れる土地に当時の人々が住み、儀式や埋葬など、自然と適応しながら生活を維持してきた文化が見られる」
ということですね。実際に登録されているのは、以下の17の構成資産で構成されています。
北海道
・キウス周堤墓群/千歳市
・黄金貝塚/伊達市
・入江・高砂貝塚/洞爺湖町
・大船遺跡/函館市
・垣ノ島遺跡/函館市
青森県
・三内丸山遺跡/青森市
・小牧野遺跡/青森市
・是川遺跡/八戸市
・亀ヶ岡石器時代遺跡/つがる市
・田小屋野貝塚/つがる市
・大森勝山遺跡/弘前市
・二ツ森貝塚/七戸町
・大平山元I遺跡/外ヶ浜町
岩手県
・御所野遺跡/一戸町
秋田県
・大湯環状列石/鹿角市
・伊勢堂岱遺跡/北秋田市
それでは、ひとつひとつ解説していきましょう。
北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産をご紹介
北海道
キウス周堤墓群/千歳市
縄文時代後期、約3200年前に作られた8つの墳墓群。墓の周りには堤防で囲まれていて、これが名前の由来になっています。
北黄金貝塚/伊達市
縄文時代前期〜中期の広大な貝塚遺跡。ここは5箇所の貝塚があり、当時の人々は牡蠣やホタテだけではなく、マグロやヒラメ、さらにはオットセイやクジラなども食べていたことが分かっています。大規模な集落で当時使用されていたとされる水場跡も発掘。世界最古の刀も発見されていて、当時の人々の暮らしが分かります。
入江・高砂貝塚/洞爺湖町
縄文時代前期から後期にいたるまで使用されたとされる貝塚。海の近くに位置するため貝類から魚類、海獣までさまざまな骨が発掘されています。他にも縄文時代後期に建造された墳墓が28基も出土。
大船遺跡/函館市
縄文時代前期〜中期までの大きな集落遺跡。ここは高台の上に約5200〜4000年前に人が住んでいたとされ、100を超える竪穴住居や、土抗墓は100基以上も点在。特に竪穴住居は深さ約2mを超えるものも。
垣ノ島遺跡/函館市
縄文時代初期〜後期までの遺跡。垣ノ島B遺跡はなんと約9000年前から人が住んでいたとされ、土抗墓から発掘された漆工芸品など、世界最古の副葬品とされています。垣ノ島A遺跡からは、縄文時代後期(約3200年前)の朱漆色の土器が完全な状態で発掘。
青森県
三内丸山遺跡/青森市
17の遺跡の中でも唯一、国の特別史跡に指定された、青森県の縄文時代前期〜中期の広大な集落遺跡。特に遺跡のシンボル的な存在が「六本柱建物跡」。ここは高さが14.7mもあり、当時から既に測量の技術があったとされているもの。他にも大型の竪穴式住居跡や高床式倉庫跡など、人口も多かったとされています。
そして、土偶の数も他の遺跡よりも多く発掘されていて、日本最大の板状土偶も発見。しかし、これほどの高度の技術を持つ集落なのになぜ終焉を迎えたのか、今でも分かっていません。
小牧野遺跡/青森市
縄文時代後期に丘の上に建造されたストーンサークルがある遺跡。環状列石は三重の輪になっていて、さらに一部分が四重となる列石もあり、直径は55mにもなります。石垣のような並べ方は珍しく、「小牧野式」と呼ばれるもの。
是川遺跡/八戸市
縄文時代前期〜後期の遺跡群で、台地の上に築かれた集落の遺跡。ここで発掘された縄文土器は、香炉形土器など美しい文様の土器が発掘されています。これらは当時の工芸技術が見れらるというもの。
亀ヶ岡石器時代遺跡/つがる市
縄文時代後期の集落遺跡で、教科書でもおなじみの「遮光器土偶」が発掘されたのがこの地。3000年ほど前から紀元前3世紀まで、南東北から南北海道に広まった土器の様式は「亀ヶ岡式土器」と呼ばれ、その名称の由来となった場所でもあります。
田小屋野貝塚/つがる市
縄文時代前期から中期までの貝塚遺跡で、日本海側にある珍しい貝塚遺跡。ここではヤマトシジミやイシガイなどが食べられていたということが分かっています。
大森勝山遺跡/弘前市
縄文時代後期のストーンサークルを中心とした集落遺跡。紀元前2000〜1500年頃に完成したものとされ、保存状態は良好です。周辺には、道具や呪術具などが出土し、大型の竪穴建築物跡も発見。
二ツ森貝塚/七戸町
縄文時代前期~中期まで使用されていた貝塚。県内で最大の遺跡であると同時に東北でも最大規模です。貝塚の他にも竪穴住居や貯蔵穴もあり、翡翠や黒曜石も見つかり、これらはこの周囲では手に入らないことから交易も盛んであったとされています。
大平山元I遺跡/外ヶ浜町
旧石器時代後期〜縄文時代初期の遺跡で、土器に付着した炭化物から計測すると、ここに集落があったのは約1万6000~1万5000年前に遡るとされています。そして、世界で最も古い鏃(やじり)まで発見。世界遺産に登録されている構成資産でも最も古い遺跡でもあります。
岩手県
御所野遺跡/一戸町
縄文時代中期の遺跡で、河岸段丘の上に建造された集落跡で、周囲は栗やドングリ、アケビなどの木が広がる森となっています。竪穴住居跡だけでも500棟もあるとされていて、環状列石の遺構もあり、ここは祭祀施設だったとされるもの。
秋田県
大湯環状列石/鹿角市
縄文時代後期の大型ストーンサークル。環状列石の中には日時計状の組石があり、夏至の日に太陽が沈むようになっていることから日時計のようなものであると考えられています。ここは土抗から副葬品が発見されていることから大型の墓地と考えられているもの。
伊勢堂岱遺跡/北秋田市
縄文時代後期の遺跡で、4つのストーンサークルが見つかり、2001年には国の史跡に登録されました。4つのストーンサークルはそれぞれ大きさも違えば、形も違うという不思議な構造。ストーンサークルAは日時計のような組石から見ると夏至の日に太陽が沈むような構造になっていることから、何かしらの祭祀施設であったと考えられれます。
ストーンサークルBの中心には土坑墓があり、土偶も発掘されています。つまり、共同墓地でもあったけど、祭祀の場でもあった可能性も。最近発見されたばかりでまだまだ不明な点も多く、これからの研究が期待されます。
世界遺産マニアの結論と感想
縄文遺跡というと、基本的に遺構ばかりで…その価値が分かりづらいというのが難点ではありますが、実は世界に誇るべき古い歴史を持つ遺跡がたくさんあるんです。そして、日本には新石器時代はなく、縄文時代は世界でも珍しい定住型狩猟社会であったことを証明するもの。自然に適応しながら儀式や埋葬などを行った跡が遺跡から分かるという点で評価されています。
ちなみに、大平山元I遺跡で発見された土器の内側には炭化物が発見されていて、ここでは何かしらを煮炊きしていたとされています。つまり、世界で最も古い「調理」の跡という可能性もあるということ。さすがグルメ大国ニッポン!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。