登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1994年 |
銀閣寺は「古都京都の文化財」の構成遺産の一つ。正式名称は「慈照寺(じしょうじ)」ではありますが、美しい池泉回遊式庭園は世界的にも有名ですね。ところで、銀閣寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは銀閣寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、銀閣寺(慈照寺)について詳しくなること間違なし!
銀閣寺(慈照寺)とは?

左京区にある臨済宗相国寺派の寺院。1482年から室町幕府の8代将軍・足利義政が、東山に山荘を築き、隠棲生活を始めました。1490年に義政がなくなると、この地は禅寺となり、彼の院号である「慈照院殿(じしょういんどの)」から「慈照寺」と名付けられました。
銀閣(観音殿)
観音殿は義政によって鹿苑寺の舎利殿(金閣)などをモデルにして建造された、楼閣庭園建築として有名です。金閣は金箔が貼られた建造物であるにもかかわらず、銀閣には一度も銀箔が貼られたという形跡も記録も残っていません。その理由は今でも不明で、ここを「銀閣寺」と呼ぶようになったのは江戸時代以降であることから、もともと銀箔を貼る計画がなかったという説もあるほど。

庭園
庭園は夢窓疎石による西芳寺の庭園を模して作られたとされているものの、江戸時代には改修されているため、当時の構造はあまり残っていません。ここは錦鏡池(きんきょうち)を中心とした池泉回遊式庭園で、白い砂を段形に盛り上げた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」、東山に登る月を待つために砂を円錐状に盛ったとされる「向月台(こうげつだい)」などが見られます。
東求堂
境内にある東求堂(とうぐうどう)は、1486年に義政の持仏堂(日常的に礼拝する仏像があるお堂)として建造され、東西南北の各面とも6.9mの入母屋造。ここはお堂ではあるものの、その後の日本の住宅の様式となった書院造(しょいんづくり)のルーツ的建造物でもあります。
銀閣寺(慈照寺)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

銀閣寺が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
銀閣寺は通称ではありますが、ここは日本の庭園史における傑作でもあり、観音殿(銀閣)を含めて日本を代表する景観が広がっているという点で評価されています。
ちなみに、銀箔は貼られていないものの、銀閣は一応室町時代から残るために国宝に指定されていますが、金閣のほうは戦後に再建されたために、京都においては龍安寺とともに国宝のない構成遺産でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。