登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1994年 |
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は別名・上賀茂神社とも呼ばれ、「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。京都でも最古の歴史を誇る神社の一つで、皇城の鎮護社でもありました。ところで、賀茂別雷神社はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは賀茂別雷神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、賀茂別雷神社について詳しくなること間違いなし!
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とは?
平安京の北側に位置する京都でも最古の歴史を誇る神社。ここには初代天皇・神武天皇の御代に神社の背後にある標高301.5mの神山(こうやま)の麓に、賀茂別雷命(かもわけいかづちのおおかみ)が降臨したという伝説が残っています。そして、677年に社殿が建立されたと伝わるもの。
奈良時代には有力な氏族であった加茂氏の氏神を祀る神社であり、794年に平安京へ遷都した後は、国家鎮護の神社として繁栄。ここには斎院(さいいん)と呼ばれる、皇女が奉任したことでも知られます。
賀茂別雷命が主祭神で、本堂と権現(ごんげん、本殿修復や造営している間に御神体を還す場所)は19世紀に再建されたものですが、これらは国宝として登録。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
賀茂別雷神社が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
賀茂別雷神社の本殿や権殿などは19世紀に再建されたものですが、現在も行われる賀茂祭(葵祭)など、ここは古くからの伝統が残っていて、日本の伝統文の形成に繋がっているという点で評価されています。
ちなみに、京都三大祭りの一つ葵祭(賀茂祭)では、斎王にちなんで、斎王代と女人列が行われるのですが、実は斎王はオーディションで選ばれるタイプではなく、京都ゆかりの寺社や文化人、実業家などの家のご令嬢による応募によって選ばれるもの。というのも、衣装などを含めて数千万円かかるらしく…「やりたい!」くらいのレベルで参加できないんだとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。