登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1994年 |
金閣寺は「古都京都の文化財」の構成遺産の一つ。正式名称は「鹿苑寺(ろくおんいん)」ではありますが、黄金の金閣は世界的に有名ですね。ところで、金閣寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは金閣寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、金閣寺(鹿苑寺)について詳しくなること間違なし!
金閣寺(鹿苑寺)とは?

北区にある臨済宗相国寺派の寺院。1397年に室町幕府の3代将軍・足利義満(1358〜1408年)が、この地に山荘を建築し、1399年には舎利殿(金閣)が完成したとされます。彼の死後、1420年に禅寺となり、彼の法号である「鹿苑院殿(ろくおんいんどの)から「鹿苑寺」と名付けられました。
金閣(舎利殿)

金閣は3階建ての楼閣建築となっていて、二層と三層は純金の箔が貼ってあることはあまりにも有名。各階はそれぞれ建築様式が異なっていて、一層は寝殿造り、二層は武家造り、三層は中国風の禅宗仏殿造りとなっていて、北山文化を代表する建造物となっています。
しかし、1950年に放火によって炎上し、金閣はすべて焼失。頂上にあった鳳凰像と「究竟頂(くっきょうちょう、仏舎利を安置する場所」の額だけは残されました。1955年に過去の解体修理時の時に描かれた図面や写真、古文書などをもとに再建されています。一方、消失前の金閣は三層のみ金箔が貼られていましたが、実は二層にはもともと金箔は貼られておらず、明治時代の解体修理時に二層の一部が金箔が貼られていた跡があったことから、再建時はここにも金箔が塗られました。
庭園は金閣を水面に映す鏡湖池(きょうこいけ)を中心に池泉回遊式庭園となっています。
金閣寺(鹿苑寺)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

金閣寺が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
金閣寺は通称ではありますが、ここは日本建築史における傑作でもあり、その庭園を含めて日本を代表する景観が広がっているという点で評価されています。
ちなみに、一休さんのとんち話で有名な「屏風の虎退治」は、虎が夜な夜な屏風から飛び出て暴れるので一休さんに退治を命じるのですが、それを依頼したのは「足利義満」となっています。しかし、実際の一休さんと義満は30歳くらい年の差があり、そもそも一休さんこと一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が子供の頃には義満は既に将軍職を引退していたので、あくまでもこれはフィクション。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。