中国の世界遺産「秦の始皇帝陵」とは?地下宮殿と発掘状況も含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4), (6)
登録年1987年

秦の始皇帝陵は「秦始皇帝陵及び兵馬俑坑」の構成遺産の一つ。西安の郊外にある広大な土塁は、中国を初めて統一した始皇帝(紀元前259年〜紀元前210年)の陵墓で高さは76mと広大。ところで、始皇帝陵はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは始皇帝陵がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、始皇帝陵について詳しくなること間違なし!

目次

秦の始皇帝陵とは?地下には宮殿があった?

秦の始皇帝陵
画像素材:shutterstock

中国中部・陝西省の省都・西安から北東へ30kmに位置する驪山(りざん)の北側に広がるのが始皇帝陵。戦国七国の一つ・秦の王であった嬴政(えいせい)はやがて中国を統一し、中国史上初の「皇帝」の称号を名乗った人物です。

始皇帝陵は、彼が在位中の紀元前246年に建造が始められ、それは40年近くも続き、紀元前208年に完成。陵墓は截頭方錐型で高さは76mもあります。広さは東西345m、南北350m。その陵墓を囲むように2つの城壁で囲まれていて、約51mの高さまでは残存。城壁は内城と外城に分かれていて総面積は約52平方kmであったとされています。敷地内には、神殿や祭祀施設があったとされていますが、墓そのものは発掘は今でも行われていません。

地下宮殿の内部には水銀の川や海が広がる?

漢の時代の歴史家・司馬遷(145/135〜87/86年)によると、陵墓の下には地下宮殿の存在が記録されており、そこには水銀の川や海が造られていたとされていますが、実際に地下には水銀が流されていたという跡も発見されています。そして、2012年には巨大な皇居の遺構も発見されていて、かつては幅250m、長さ690mという広大な建造物だったと考えられるもの。

なぜ始皇帝陵は発掘されていない?

秦の始皇帝
画像素材:shutterstock

これについては「憶測」の面もあるのですが、まず現代においては墓荒らしを防ぐために、発掘に反対する住民もいるというのが一つ。そして、もう一つは始皇帝の墓がある場所は地下30m近くとも言われ、さらにはその地点には水銀が埋まっているため、技術的に難しいという事情もあるそう。

秦の始皇帝陵はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

秦の始皇帝陵
画像素材:shutterstock

始皇帝陵が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
兵馬俑坑は中国の初期王朝において代表的な彫刻品で、これには当時の卓越した技術と芸術が見られるという点。

登録基準(iii)
兵馬俑は、春秋戦国時代と秦の時代の軍人の姿を残す資料になっているということ。

登録基準(iv)
始皇帝陵は中国でも最大の陵墓で、敷地は首都であった咸陽をモチーフにしたという独特のデザインであるという点。

登録基準(vi)
始皇帝陵の建設は中国初の統一王朝・秦において国家プロジェクトになるほど重要な役割を持っていたということ。

世界遺産マニアの結論と感想

始皇帝陵は中国でも最大規模の陵墓で、彼が国家プロジェクトとして熱心に進めていたということもあり、当時の記念碑的な要素も非常に強いという点でも評価されています。

ちなみに、始皇帝陵は秦の首都であった咸陽の街の配置をモデルにしていたとされています。そうなると、近くで発見された兵馬俑は、「町の住民」を表していたのかもしれませんね。…あくまでも憶測ですが。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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