登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
三池炭鉱・宮原坑は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。ここは三池炭鉱の中でも主力の竪坑を持ち、現在は遺構などが残っています。ところで、宮原坑はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは三池炭鉱・宮原坑がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、宮原坑について詳しくなること間違いなし!
三池炭鉱・宮原坑とは?
三池は現在の福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがるエリアで、江戸時代から炭鉱が存在していました。ここは「三池炭鉱」と呼ばれています。明治になると、三井財閥によって「宮原坑(大牟田市)」と「万田坑(荒尾市)」がそれぞれ建造されました。
宮原坑では、1898年に第一竪坑、1901年に第二竪坑が完成し、ここはやがて三池炭鉱の主力となっていきます。ここは当時最大級の馬力を持つイギリス製のデビーポンプをそれぞれ備えていて、浸水に悩まされることなく、深い部分を採炭できるようになりました。大正には最大で出炭量が51万トンとなり、三池炭鉱の中でも最大規模の出炭量を誇る坑道でした。しかし、昭和初期の不況と炭鉱の中心が新たな坑道へと移り、1931閉坑。現在は第二竪坑が遺構として残っていて、竪坑そのものは見学できませんが、巻上機室にある昭和初期の電動モーターなどが残されています。
三池炭鉱・宮原坑はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
宮原坑が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
三池炭鉱・宮原坑は、三池炭鉱の中でも主力となった坑道で、最新型のポンプを使用したりと当時の最先端の技術が見られるという点で評価されています。
ちなみに「月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)」というキャッチーな歌詞で有名な炭坑節は盆踊りでよく歌われますが、歌詞には三池炭鉱の名前が登場します。これは三池で誕生したと思われがちですが、実は福岡県北部の田川市生まれなので、ちょっとややこしいところ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。