登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 2000年 |
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成遺産の一つ。沖縄北部にあり、歴史が深く、沖縄でも最大級のグスクでもあります。ところで、今帰仁城跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは今帰仁城跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、今帰仁城跡について詳しくなること間違いなし!
今帰仁城跡とは?
本島の北西部に位置していた北山王国(14世紀〜1416年)の居城で、中心部であった場所。ここは12〜13世紀には既に築城されていたというほどに歴史が古いグスクです。琉球王国によって統一された後は、王府から派遣された北山監守の城として使用されていました。そして、中国や東南アジアから輸入したとされる陶磁器などが発見され、古くから交易で繁栄したと考えられています。
ここは丘の上に位置していて、川や谷に囲まれた天然の要塞。城壁は自然の石をそのまま積み上げる「野面積み」が見られ、曲線を描くように囲まれています。ここは南北350m,東西800mと、県内最大級のグスクとしても有名。
今帰仁城跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
今帰仁城跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
琉球列島は、数世紀に渡って中国、韓国、東南アジア、そして日本との経済や文化的交流の中心地として発展し、それは現存する建造物によって示されているという点。
登録基準(iii)
琉球王国の文化は、その環境において独自に発展し、繁栄したということ。
登録基準(vi)
斎場御嶽など、琉球王国時代から続く聖地は、現在でも住民たちに自然崇拝や先祖崇拝の場として大切にされているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
今帰仁城跡は歴史が古く、県内に残るグスクの中でも最大級であり、出土品からは文化交流が見られ、琉球王国の繁栄を示しているという点で評価されています。
ちなみにこの城について、実は北山王国の初代国王・怕尼芝(はにじ)の前はほとんど何も分かっていません。資料によると、伝説の琉球王国・初代王の舜天の兄弟が城主であったという説もあるので、かなり古くから勢力を持っていたとされますが…果たして。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。