栃木県の世界遺産「日光山輪王寺」とは?大猷院を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(4),(6)
登録年1999年

日光山輪王寺は「日光の社寺」の構成資産の一つ。ここは東照宮と二荒山神社と合わせて「日光山」を構成する寺院でした。ところで、輪王寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは日光山輪王寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、輪王寺について詳しくなること間違いなし!

目次

日光山輪王寺とは?

仁王門/日光山輪王寺
画像素材:写真AC

輪王寺としての起源は、奈良時代に遡り、勝道上人によって8世紀に開創されたと伝わるお寺。もともとは参道の入口にあった大谷川(だいやがわ)の対岸にお堂があった程度で、後に「四本龍寺(しほんりゅうじ)」と呼ばれ、これが現在の輪王寺の基になったとされています。天台宗の高僧・円仁が9世紀に訪れてからは、天台宗寺院となりました。

17世紀になると徳川家康の側近であり、天台宗の高僧・天海が住職になり、彼の霊廟である慈眼堂や三代将軍家光が祀られている大猷院(たいゆういん)が建造されていきます。近世までは東照宮と二荒山神社と合わせて「日光山」を構成していたものの、明治になると神仏分離によって輪王寺の称号を没収されるものの1883年に正式な寺号として残されました。

三仏堂(本堂)

三仏堂/日光山輪王寺
画像素材:shutterstock

本堂である三仏堂は東日本最大の木造建築。ここには千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音と、3つの巨大な仏像が置かれていて、これは日本独自の神仏習合(本地垂迹説)を示すもの。敷地内は本堂を含め、17棟もの重要文化財が点在。

大猷院(たいゆういん)

大猷院/日光山輪王寺
画像素材:写真AC

三代将軍の家光の廟所(びょうしょ)。家光は家康から東照宮を凌いではならないという遺言があったために、東照宮と比べて派手さはなく、落ち着いた装飾が多いというのが特徴。

2つの金剛力士像のある「仁王門」から、日光の境内で最も大規模な門である「二天門」、四体の夜叉が安置されている「夜叉門」を通り、権現造りの拝殿・相の間・本殿と繋がる建造物へと続きます。ここは金彩が使用されていて、壁には狩野派による唐獅子、天井には140枚の龍の絵が並んでいて壮大。そして、最も奥にある「奥の院」の手間の皇嘉門(こうかもん)は、竜宮造り(アーチ型の通路の上に木造の軒と入母屋の屋根を置くという様式)の傑作です。

日光山輪王寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

奥の院/日光山輪王寺
画像素材:shutterstock

輪王寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
森の中に調和がとれるように配された日光の社寺は、建築と芸術の面での人類の創造的資質を示す傑作であるという点。

登録基準(iv)
東照宮と輪王寺の権現造りは、江戸時代において最高の建築技術であり、日本の霊廟建築において多大な影響を与えたということ。

登録基準(vi)
山や森に囲まれた日光の社寺は、人間と自然が一帯であるという神道も関連していて、日本の宗教空間の顕著な例であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

日光山輪王寺は、近世までは東照宮と二荒山神社と同じ敷地内にあり、総称として日光山であったために、日本独自の宗教空間が見られるもの。そして、家光公の廟所である大猷院を含めて、江戸時代の建築や芸術の傑作が続くという点で評価されています。

ちなみに、輪王寺の秘宝には「徳川家康公坐像」というものがあって、これは江戸時代後期に作られたもの。この像の面白いところが、内厨子の中央上部には懸仏(かけぼとけ)として薬師如来が置かれていることから、家康は人というよりも神として信仰の対象となっているという点。まさに東照大権現を祀った日光らしいお宝ですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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