登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (6) |
登録年 | 2008年 |
モーリシャスはマダガスカルの東部に浮かぶ島国。18〜19世紀にかけてこの島は、東方奴隷貿易の中継地でした。島の南西部には、ル・モーン山と呼ばれる岩山があり、ここにはマルーンと呼ばれる逃亡してきた奴隷が住んだ地。山頂や洞窟には集落が造られ、やがて「マルーン共和国」と呼ばれるになったのです。
ここでは、ル・モーンの文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ル・モーンについて詳しくなること間違いなし!
ル・モーンの文化的景観とは?
モーリシャスの南西にある半島は、標高556mのル・モーン山があり、ラグーンで囲まれた絶景が堪能できるスポットです。今は観光地として有名ですが、実はここは18〜19世紀にマルーン(逃亡奴隷)が隠れ住んだ場所でした。山頂に至るまでには洞窟があり、彼らはここを住居として使用。洞窟住居からはアフリカ本土、インド、東南アジアなど、それぞれの地域と関連性のあるものが発見されています。
1835年にモーリシャスで奴隷制の廃止が決定した時は、警官がそれを知らせにやっってきたのですが、捕まると勘違いをして崖から飛び降りて死亡したという悲しい歴史もあります。このような隠れ家は世界中に存在しますが、ここは特に象徴的な場所で、奴隷たちが自由を求めて戦ったというシンボルでもありました。
ル・モーンの文化的景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ル・モーンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ここにはマルーンたちが隠れ住んだということで、奴隷制への抵抗が行われていたという証拠になっているという点。
登録基準(vi)
各地からやってきたマルーンたちが、自由のための戦い、そして犠牲になった場所であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
現在のル・モーン山はラグーンに囲まれた美しい景勝地なのですが、かつては奴隷商から逃げたマルーンたちが隠れ住んだという場所でもあるのです。そして、彼らはここでずっと暮らし続け、この地で亡くなったという悲しい歴史も。
そして、奴隷が解放されたのは素晴らしいのですが、逆に島は労働者が不足してしまい、現在の人口比はインドからの移民の子孫が最も多いという結果に。モーリシャスはアフリカにあるのに、インド系の移民が多い不思議な国家になっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。