鹿児島県の世界遺産「関吉の疎水溝」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2015年

関吉の疎水溝は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。ここは鹿児島市の集成館事業のための水力の動力源として利用されたもの。ところで、関吉の疎水溝はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは関吉の疎水溝がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、関吉の疎水溝について詳しくなること間違いなし!

目次

関吉の疎水溝とは?

関吉の疎水溝
画像素材:写真AC

鹿児島市下田町にある用水路。第28代当主・島津斉彬(1809〜1858年)によって築かれた西洋式工場である集成館は稼働のために大量の水が必要でした。そこで斉彬は1852年に集成館から北西へ7〜8km離れたこの地まで用水路を建造。当初は用水路の流れを反射炉や砲身に穴を開ける鑽開台(さんかいだい)などを稼働するための水車動力として利用したのです。

1722年には既に下田町関芳から集成館のある吉野までは疎水(そすい)が引かれていたものの、1852年にトンネルも含めた水路が加えられ、集成館にある水車の動力としました。水路には岩版をくり抜いた取水口跡が残っているものの、現在は約3kmほど残っていて、一部は現在も水田の用水路として利用されています。

関吉の疎水溝はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

関吉の疎水溝
画像素材:写真AC

関吉の疎水溝が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。

登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

関吉の疎水溝は、島津斉彬によって進められた集成館事業のための水車の動力として利用され、日本を含めた東アジアの工業化において大いに貢献してきたという点において評価されています。

ちなみに、下田町から集成館までは溶結凝灰岩の台地の上に水路を引いているのですが、実はこの水路の高低差は8m程度しかなく、緩やかな傾斜路こそが高度な技術でもあるのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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