登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 2017年 |
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の一つ。ここはかつてこの地域を支配した豪族の古墳であり、宗像大社の大宮司であった宗像氏との関連も見られます。ところで、新原・奴山古墳群はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは新原・奴山古墳群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、新原・奴山古墳群について詳しくなること間違いなし!
新原・奴山古墳群とは?
宗像市の田島にある辺津宮から南西へ約5km。福津市に位置する津屋崎古墳群の一部が世界遺産に登録されています。これらは5世紀後半〜6世紀後半に建造された古墳群で、古墳時代にこの地域を支配した豪族・宗像氏との関係が見られるというもの。
ここには前方後円墳が5基、方墳が1基、円墳が41基も点在しています。7号墳は、沖ノ島の祭祀と共通する鉄斧などが出土して、この地域の信仰との関連性が見られるという点で評価。
新原・奴山古墳群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
新原・奴山古墳群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
沖ノ島に残る遺物は、航海の安全を願って祭祀が行われたという形成期を示すもので、ここは4〜9世紀にかけて、朝鮮半島を経由して東アジアのさまざまな国々と文化や技術の交流し、それらは500年に渡って古代の祭祀の変遷を伝え、日本列島における日本独自の文化形成に貢献したという点。
登録基準(iii)
沖ノ島では奉納物が多く発見され、それらは4〜9世紀にかけて500年間に渡る祭祀の変化が見られるというもの。9世紀以降は祭祀は途絶えたものの、祭祀は宗像大社として「宗像三女神」を崇拝するという形で残り、これは古代から現在まで発展し、受け継がれてきた文化的伝統を今でも残しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ここは古くからこのあたりを支配し、やがて宗像大社を管理した宗像氏と関連が見られる古墳だけあって、かつての宗像三女神信仰の根幹となる崇拝が見られるという点で評価されています。
ちなみに、福津市といえば、『クッキングパパ』の作者うえやまとち氏が暮らす場所であり、作中にも地名が登場することも。彼はかつて福津市在住の家族の漫画も書いたことも。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。