登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (2),(6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2012年 |
「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」が拡大登録を目指していて、白鳥舘遺跡(しろとりたていせき)はは構成資産の候補の一つ。ところで、白鳥舘遺跡はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここでは白鳥舘遺跡がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、白鳥舘遺跡について詳しくなること間違なし!
白鳥舘遺跡とは?
奥州市にある城館跡で、国の史跡でもあります。ここは最上川沿いに築かれ、伝承によると、平安時代末期には豪族であった安倍頼時(あべのよりとき)の八男・白鳥八郎則任の居城であったとされていますが、発掘によると12〜15世紀には手工業生産が行われていた船着き場であり、ここは生産と流通を兼ねた「川湊」であったということが分かっています。
奥州藤原氏が繁栄した12世紀以降も存在し、15世紀後半までその機能が残っていたとされています。つまり、平泉の財力は最上川を利用した交易でもたらされたという証拠でもあり、手工業生産と舟運という2つの産業基盤の存在を示すもの。現在は館跡だけでなく、鍛冶炉跡などが残っていて、この地では国産の陶磁器や数珠玉も発掘されています。
白鳥舘遺跡はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
白鳥舘遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。
登録基準(vi)
平泉には浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念が存在したという点。
世界遺産マニアの結論と感想
白鳥舘遺跡は、現在は遺構となっているものの、ここは手工業の産地であったと同時に川を利用した舟運の拠点であり、奥州藤原氏の経済基盤でもあったということを示すという点で評価されています。
ちなみに、安倍頼時の孫は奥州藤原氏の初代藤原清衡(1056〜1128年)であり、商売の才能はおじいちゃん譲りだったのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。