登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 2024年 |
宗太夫坑(そうだゆうこう)は「佐渡島の金山」の構成資産の一つ。ここは江戸時代初期に掘られた手掘りの坑道で、現在もそのまま残され、当時の様子を再現している展示館でもあります。ところで、宗太夫坑はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは宗太夫坑がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、宗太夫坑について詳しくなること間違なし!
宗太夫坑とは?
相川金銀山は島の西部に残る金山で、16世紀末に開発が始まりました。現在では「史跡 佐渡金山」として公開されています。宗太夫坑は、江戸時代初期に開削された坑道で、ここは佐渡金山最大の鉱脈・青盤脈の西側を掘り進めていったもの。坑道は江戸時代の採掘形式の特徴である「将棋の駒型」と呼ばれる台形のような形になっていて、途中には斜坑や煙を通す穴などが点在しています。
現在は江戸時代に描かれた「佐渡金山絵巻」を再現するように、当時の採掘の様子を人形などを置いて再現した展示館となっていてます。排水作業から硬い岩盤をどのように採掘するか、その様子が再現したり、羅針盤測量器を使って測量をしていたりと、東アジアにおいても高い技術力があったということがよく分かるもの。
坑道の中には、金山独自の神事芸である「やわらぎ」の様子の展示が見られます。これは坑道の岩盤があまりも硬かったため、山の神の心を和めることから、岩盤を「やわらげる」ために祈ったことから始められたとか。
宗太夫坑はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
宗太夫坑が評価されたのは以下の点。
登録基準(iv)
佐渡島は南と北の2つの山脈に1つの沖積平野で隔てられるという地形であり、島に残る金と銀の鉱床は、熱水が地表に上昇し、地殻変動により、海底に沈んだ後、再び隆起したという構造です。そのような環境のなか、砂金の鉱床は、西三川地域で採掘され、後に火山岩の風化により鉱脈が露出し、相川・鶴子地域で地下採掘が行われました。地下と地上に残る遺構は、採鉱のための社会・労働組織が反映されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
宗太夫坑は、江戸時代初期から使用されていた坑道の跡であり、当時の様子がよく分かるもの。優れた採掘技術が利用されていたことから、近世から近代までの鉱山の発展が見られ、東アジアの鉱山技術だけでなく、世界経済にも大きな影響を与えたという点で評価されています。
ちなみに、江戸時代に鉱山の採掘にまつわる専門家を「山師」と呼ばれていましたがが、このことから「冒険・投資をする人」、そして、そこから「詐欺師」という意味合いを持つようになり、今では悪いイメージの名称ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。