京都府の世界遺産「東寺(教王護国寺)」とは?五重塔と読み方を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

東寺(教王護国寺)は「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。五重塔は京都のシンボルであり、木造塔としては日本一の高さを誇ります。ところで、東寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは東寺(教王護国寺)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 東寺について詳しくなること間違いなし!

目次

東寺(教王護国寺)とは?その歴史と読み方について解説

東寺の正式名称は?

東寺(教王護国寺)
画像素材:shutterstock

東寺(とうじ)は南区にある真言宗の総本山。世界遺産としては、宗教法人としての名称である「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」が採用されているものの、平安京を鎮護するための宮寺として796年に羅生門の東に建立されたため、創建当時から「東寺」と呼ばれていました。よって、現在では2つが名称を使用されているというのが実情。

さらには、正式名称としては「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」があり、その名称は複雑。しかし、門にある提灯には「東寺」と記載していて、宝物館の名称は「東寺宝物館」となっているので、寺側も有名な名称である東寺のほうを使用することが多いようです。

真言宗の宗祖である空海に下賜された道場

講堂/東寺(教王護国寺)
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823年に真言宗の宗祖である空海(弘法大師、774〜835年)が嵯峨天皇から東寺を下賜されると、ここは真言密教の道場となりました。平安時代後期になると一時衰退するも、鎌倉時代には弘法大師の人気も高まり、この地を中心に信仰が集まるようになり、中世以降は天皇や征夷大将軍からも援助を受けるように。現在では、東寺真言宗の総本山として、「生身供(しょうじんく、空海が生きているように毎朝食事を捧げる行事)」が行われていて、毎月「弘法さん」と呼ばれる骨董市も行われています。

五重塔(国宝)

五重塔/東寺(教王護国寺)
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寺のシンボルである五重塔は国宝に登録されていて、境内の南東に位置しています。空海によって創建されたとされますが、実際は9世紀末とされるもの。とはいえ、空海の頃から構想はあった様子で、826年に空海は朝廷に材木運搬の協力を依頼しています。

何度も消失していて、現在の塔は1644年に徳川家光の寄進によって再建された5代目でもあります。高さは54.8mと、木造塔としては、日本一の高さを誇るもの。内部は非公開ですが、初重内部には、各層を貫く「心柱(しんばしら)」を中心に金剛界四仏像と八大菩薩像が安置され、密教空間が広がっています。

金堂(国宝)

七仏薬師如来像/金堂/東寺(教王護国寺)
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境内の南に位置する金堂は国宝ににも登録。9世紀前半には完成したとされ、東寺で最も古い建造物とされますが、1486年の一揆により、焼失しました。現在の建造物は1603年に豊臣秀頼(1593〜1615年)の寄進によって再建されたもの。和様と平安時代後期に生まれた大仏様(だいぶつよう)が併用されたというのが特徴で、広大な内部空間に重要文化財の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が置かれています。

三尊像は寄木造で、1602〜1604年に建造されたもので、薬師如来像は東寺の本尊となっています。薬師如来は、平安時代に見られる薬壺(やくこ)を持たない古い様式で、光背に7つの化仏(けぶつ)を持つ「七仏薬師如来」は、古い時代を意図して製作されたと考えられるもの。

講堂(重要文化財)

立体曼荼羅/講堂/東寺(教王護国寺)
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東寺の敷地内の中心に位置する講堂は、東西255m、南北515mの長方形の建造物。825年に空海により着手し、彼の死後、839年に完成しました。しかし、1486年に一揆により焼失し、現在の建物は1491年に再建されたもの。

本尊は金堂の薬師如来像ですが、ここは東寺でも重要な場所で、立体曼荼羅(羯磨曼荼羅、かつらまんだら)が置かれています。立体曼荼羅とは、大日如来を中心とした五体の如来像、五体の菩薩像、不動明王を中心とした五体の明王像、梵天・帝釈天像、四天王像の合計21体の彫像が安置され、これは空海によって、密教の教えを具現化したものとされています。そして、15体は講堂の創建時の像であり、国宝に登録されているもの。

御影堂(太子堂、国宝)には日本最古の不動明王像がある?

御影堂/東寺(教王護国寺)
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御影堂(みえどう)は境内の北西部にあり、空海が唐から持って帰ってきたとされる「仏舎利(釈迦の遺骨や遺体を収めたとされるもの)」を祀っていた場所。1379年の火災によって焼失し、現在の建造物は1390年に再建されました。「生身供」が行われる場所として今でも朝6時に参拝者が多く集まります。

南側の後堂には空海の念持仏(ねんじぶつ、常に身辺に置いて拝む仏像)とされる不動明王坐像が安置されていて、秘仏であるために非公開。これは日本最古の不動明王像とされています。

南大門(重要文化財)

南大門/東寺(教王護国寺)
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東寺の玄関口であり、幅18m、高さ約13mの門は重要文化財にも登録。もともとは1601年に東山にあり、千手観音坐像が1001体も並ぶ「三十三間堂」の西大門として建造されたもの。かつての南大門は1868年に焼失してしまったため、西大門をこの位置に移築して、東寺の南大門として再利用しています。

東寺(教王護国寺)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

東寺(教王護国寺)
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東寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

東寺は平安京時代からの歴史を誇る寺院で、五重塔や金堂などは、建築史に残る傑作でもあり、その後の日本の仏教建築に大きな影響を与えているという点で評価されています。

ちなみに、東寺があるのなら「西寺」もあったのでは?と疑問に思うと思いますが、実は同じ時代に完成したらしく、平安時代には羅生門の近くに存在していたものの、鎌倉時代には廃寺になったと考えられていて、現在は存在していません。東寺からしばらく西に行くと、国の史跡「西寺跡(さいじあと)」が残っていますが、今ではちょっとだけ遺構があるだけ。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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