新潟県の世界遺産候補「鶴子銀山」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(3),(4)
申請年(暫定リストに記載)2010年

鶴子銀山(つるしぎんざん)は「佐渡島の金山」の構成遺産の一つ。佐渡島でも最古の銀山の一つですが、銀山としては17世紀には衰退したために、現在は跡地のみ現存。ところで、鶴子銀山はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?

ここでは鶴子銀山がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、鶴子銀山について詳しくなること間違なし!

目次

鶴子銀山とは?

画像素材:Indiana jo(Wikimedeia Commmons)

鶴子銀山は、佐渡島の西側に位置する鉱山跡。1542年から銀が採掘されていて、島でも最古の銀山の一つでもあります。最初は地表に露出した鉱脈の露頭堀りから始まったため「百枚平」と呼ばれる跡地が残っています。そして、1595年には石見銀山から山師を招くと坑道が形成され、「大滝間歩」と「本口間歩」など、採掘技術が向上したことが分かるものも残存。そして、銀を島外へと運搬するための港があった沢根町までの運搬路が形成され、これは「鶴子道」と呼ばれます。

しかし、鶴子銀山は17世紀初期には銀の採掘量が減ってしまったため、銀の採掘は山の反対側にある相川金銀山が中心となり、鉱山と運搬路も同時に衰退していきます。18世紀には銅の採掘が中心となり、1946年に閉山。現在は遺構のみ残っています。

鶴子銀山はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

画像素材:Indiana jo(Wikimedeia Commmons)

日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2010年に暫定リストに記載された、日本政府における基準です。

登録基準(ii)
金山を中心とする鉱山遺跡群は、ここで発展した採掘技術や管理体制など、東アジアの鉱山にも影響を与え、大量に採掘された金によって江戸幕府や明治政府を支え、国際経済に多大な影響を与えたという点。

登録基準(iii)
400年以上にも渡って日本の金銀の採掘を続けてきた佐渡島の金山は、鉱山遺跡や歴史的建造物、労働者たちが暮らした町や集落などは保存状態も良く、アジアの他の鉱山跡地では見られないということ。

登録基準(iv)
金山は砂金鉱床や露頭堀りなどの古典的な採掘技術が行われたり、近代的な鉱山群なども見られたりと、近世から近代まで採掘技術や鉱山運営の発展の段階を示し、人類史の重要な段階であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

鶴子銀山は、16世紀に銀山として開拓され、露頭掘りや初期の坑道の跡が残存。相川金銀山に比べ、近世には衰退してしまいますが、鉱山における採掘技術の発展が見られるという点で評価されています。

ちなみに、現在の沢根町の港は漁港が中心となっていて、鶴子道が衰退したのも、島の南部にある現在の小木港が中心となったからという理由もあります。そして、小木港といえば島の名物「たらい舟」があることでも有名ですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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