登録区分 | 複合遺産 |
登録基準 | (3), (5), (9), (10) |
登録年 | 2016年 |
ウルは「イラク南部の湿原地域(アフワール) : 生物多様性の保護地とメソポタミア都市群の残存する景観」の構成資産の一つ。紀元前3000年代には都市国家が成立し、巨大な聖塔ジッグラトがあったりと、古代メソポタミアの中心地でもありました。ところで、ウルはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではウルがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウルについて詳しくなること間違いなし!
ウル(遺跡)とは?
現在はイラク南部の砂漠に位置するウルの遺跡。ここはウバイド文化(紀元前6500年頃〜3500年頃)に属する古代都市で、古くから人が住む地でした。もともとはペルシア湾の水位は現在よりも高く、周囲は沼沢地でもあり、肥沃な土地でもあったとされています。
紀元前3000年頃にウル第1王朝が始まり、メソポタミアの中心都市として発展しました。現存する世界最古の法典『ウル・ナンム法典』が発見され、これは紀元前22〜21世紀ころのものとされています。その後いくつもの王朝がここを支配しますが、紀元前5世紀になると衰退し、ペルシア湾の水位も下降したことから現在は遺跡となってしまいました。遺跡には神殿や住宅など、かつての繁栄が見られる遺構が残っています。
ウルのジッグラト(エ・テメン・ニグル)
遺跡の中で最も印象的な建築物といえば「ジッグラト」。これはレンガを使用した巨大な塔で「高い所」を意味し、メソポタミアでは古くから信仰の対象となっていました。
もともとは紀元前21世紀のウル第3王朝時代から建造が開始され、基壇の上にはウルの守護神でもある月神ナンナの至聖所があったとされた、レンガ造りの三層構造。現在は基壇のみが残りますが、かつては高さが30mもあったとされています。現在の建造物は、新バビロニアの王ナボニドゥス(?〜紀元前539年)が紀元前6世紀に改築したもの。
ウル(遺跡)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ウルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ウルク、ウル、エリドゥの遺跡は、ウバイド文化とシュメール、バビロニア、ヘレニズムの時代までのメソポタミア南部の都市と社会の成長・衰退を示すもので、これらの都市には神殿や宮殿などの記念碑的な建造物、階級社会が見られるもの、広大な住宅地跡など、宗教と政治、経済、文化の中心地となり、人類の歴史において大きな変化をもたらしたという点。
登録基準(v)
ウルク、ウル、エリドゥの遺跡は、現在は乾燥地帯であるものの、もともとは淡水の湿地の近くに水路や運河跡、かつての集落跡など、ティグリス川の不安定なデルタ地形の景観を示すもので、この地は建築や考古学遺跡、楔形文字のテキストなどが発展し、メソポタミア南部の文化・宗教・文学・芸術に貢献していたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ウルは、世界でも最古の都市の一つであり、これらの遺構はウバイド文化からヘレニズム時代まで、政治や経済の中心地であることを示し、メソポタミアでも最大級のジッグラトも残されていて、このエリアの文化の中心地でもあったという点で評価されています。
ちなみに、ウルのジッグラドの南東には、紀元前6世紀に建造された、世界でも最古の博物館「エンニガルディ=ナンナの博物館」があったとされています。これは紀元前20世紀ころの工芸品などを、上記のナボニドゥスがコレクションしていたそう。彼の娘であったエンニガルディも考古学に興味があったそうで、教育を目的に博物館を開いたそうな。となると、世界初の学芸員は「女性」であったと考えられますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。