沖縄県の世界遺産「座喜味城跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (6)
登録年2000年

座喜味城跡(ざきみじょうあと)は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つ。この地方の有力按司(あじ)であった護佐丸が15世紀に築いた城です。ところで、座喜味城跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは座喜味城跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、座喜味城跡について詳しくなること間違いなし!

目次

座喜味城跡とは?

座喜味城跡
画像素材:shutterstock

本島の南西部・読谷村の西海岸にあるグスクで、15世紀に有力按司であった護佐丸によって築かれたもの。しかし、第2次世界大戦時には壊滅的な被害を受け、その後は米軍の通信基地だったため、1974年に返還後に現在の美しい姿へと復旧されました。

グスクは丘の上に築かれたため、周囲を見渡すことができ、周辺の海域や離島を眺めることができ、軍事的にも理想な場所だったとされます。なだらかな曲線を描く城壁の外周は365mもあり、アーチ型の城門の保存状態も良好。

座喜味城跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

座喜味城跡
画像素材:shutterstock

座喜味城跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
琉球列島は、数世紀に渡って中国、韓国、東南アジア、そして日本との経済や文化的交流の中心地として発展し、それは現存する建造物によって示されているという点。

登録基準(iii)
琉球王国の文化は、その環境において独自に発展し、繁栄したということ。

登録基準(vi)
斎場御嶽など、琉球王国時代から続く聖地は、現在でも住民たちに自然崇拝や先祖崇拝の場として大切にされているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

座喜味城跡は有力按司である護佐丸が築いた軍事的なグスクで、美しい曲線を描く城壁を持ち、琉球王国の繁栄が見られるという点で評価されています。

ちなみに、護佐丸は若くして軍の総大将に任命されるほど、地元では信頼されていて、第一尚氏の建国の功臣であったのですが、同僚でもある阿麻和利の密告によって最後は自刃。しかし、彼は反乱の意思はなく、忠義の人だったというのが通説。悲しいことに阿麻和利のほうが王の殺害を狙っていたとされていて、彼は最終的に王によって殺害されてしまいます。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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